「こう、膝をついて、手を前に添えて……それで、お母さんに、育ててくれてありがとう、って言ってみようか」
「え」
「ね、ね。絶対喜ぶよ!」
付き添いで来ていた母のほうをちらりと見ながら、カメラマンさんはそう言った。母は不思議そうな顔でこちらを見ている。私は、おいおい勘弁してくれよ……。と思った。確かに喜ぶかもしれないが、ガラじゃないし、恥ずかしい。
しかし、カメラマンさんは有無を言わせない口調で「さっ、じゃあ次行こうか!」と強引に進行してゆく。私は仕方なく言われたとおりに膝をつき、
「お母さん、ありが――」
そう、口を開きかけたところで、ガラス張りのスタジオの外に、人影を見つけて、ぴたりと止まってしまった。
まゆちゃんと、おじいちゃんだ。
こちらを。私のほうを見て、何か話している。
「……ありがとう、おじいちゃん」
ごめん、お母さん。と私は思った。でも、お母さんがあの時、どんな事情であれ私よりお姉ちゃんを優先させたように、お父さんがお兄ちゃんを優先させたように――今、この晴れ着姿で、私は誰よりおじいちゃんにお礼を言いたかった。
鮮明に蘇る。
美容室の独特のにおい。静かな空間に響く、おじいちゃんのハサミの音。にこにこした顔で帰ってゆくお客さんたち。私の髪を優しく撫でる、あたたかい手。
予定と違う私の言葉に、カメラマンさんは困惑した顔で「えー……と?」と言ったが、母は笑っていた。少し泣いていたかもしれない。とにかく、私は有耶無耶に笑ってその場を流し、撮影は滞りなく終了した。その頃には、まゆちゃんとおじいちゃんの姿は、とっくに見えなくなっていた。
帰り道、母はしみじみとした口調で言った。
「お父さん、瑠海のことを本当に可愛がっていたからねえ。今頃きっと、天国で大喜びしてるわよ」
「うん。私もそう思う」
私が言うと、母はあははと声をたてて笑った。
その後。慣れない着物や撮影にすっかり疲れて、帰るなり私はベッドに飛び込んだ。
沈みかけの意識の中、誰かに頭を優しく撫でられるような感覚がして、そしてその手つきがあまりに優しくて、瞼を固く閉じながら、声を押し殺して私は泣いた。目を開けば、声を出せば、その手がどこかへ行ってしまうということが不思議なくらいによくわかった。
優しい手のぬくもりを感じながら私は、胸の中でそっと囁きかけた。
ねえ、おじいちゃん。
ほんとはね。パーマ剤のにおい、そんなに嫌いじゃなかったよ。
すると一瞬空気が揺れて、私は、あ、今おじいちゃんが笑った、と思った。