その日私はとにかく疲れていて、最寄り駅から少し離れたわが家へ帰るまでのバスの中で、うつらうつらと船を漕いでいた。
十九歳。短大二年目の春。はじまったばかりの就職活動は、今のところ“今後益々のご活躍”とやらをお祈りされてばかりだ。履きなれないヒールのせいで足は棒のようだし、着心地の悪いジャケットのせいで肩が凝ってしょうがない。それに、真っ黒いスーツ姿で街中を歩いていると、なんだかもう、それだけでかなり精神的に疲れる。
そんな中。心地良いバスに揺られて、浅い眠りについていると、うわああん! という泣き声が聞こえてきて、ハッとして目を覚ました。車内を見回すと、まだ三歳か四歳か、それくらい幼いであろう小さな女の子が、力いっぱい泣いていた。
「新しいクツ、青いやつがいいって言ったのに! 赤嫌い!」
「ごめんね、ごめんね。じゃあ帰りに、青いのも買って帰ろうね。ねっ、そうしよう」
女の子のおじいちゃんであろう、優しそうな初老の男性がそう言い、すみません、と周りに頭を下げる。車内にはまばらにしか乗客はおらず、おじいさんの謝罪に反応を示す人はいなかった。
「じいじ、嫌い! なんでまゆばっかりじいじといなくちゃいけないの!?」
「ごめんね、お母さんがいいよね。でもまゆちゃん、もうすぐ妹ができるんだよ。そうしたらきっと、賑やかになるよ。ね、楽しみでしょ」
「嫌!」
おろおろと、おじいさんは困り顔で女の子を見つめている。あまりにじっと視線を送りすぎたせいか、おじいさんは少し離れた席に座っていた私をハッと振り向いて、「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げた。私は慌てて「いえ、そんな」と返事をし、ぎこちない笑みを浮かべて見せた。
「もう少しでお母さんお家に帰ってくるからね。それまでじいじでガマンしてね」
散々わがままを言われても、「いい加減にしなさい」とか「わがままばっかり言わない!」とか決して怒らず、女の子を一生懸命なだめようとするおじいさんの姿に、私はなんだか、自分の祖父を思い出してたまらないような気持がこみあげてきてしまい、慌てて視線を窓の外に移した。
おじいちゃん。
『三人の中で、瑠海ちゃんがいちばんかわいい。じいちゃんはお兄ちゃんより、お姉ちゃんより、瑠海ちゃんが一番好きだよ』
私の祖父は神奈川の片隅で美容室を経営しており、生前はよく私や、兄や姉の髪を切ってくれていた。
小さな一軒家を改装した、手作り感満載の小ぢんまりしたその店は、しかし祖父の人柄や、孫の私たちのためにと懸命に勉強を重ねた末、若い人の流行にも乗り遅れない施術の豊富さから、いつも人で賑わっていたものだ。
早くに祖母を亡くして以来、独身を貫いてきた祖父は、孫の私たちをそれはかわいがってくれた。欲しいものはなんでも買ってくれたし、たいていのわがままは許してくれた。母はいつも「あんまり子供たちを甘やかさないでよ」と祖父に注意をしたが、言われるたび祖父は困ったような顔で、
「そうだよなあ。厳しくしたほうがこの子たちのためになるって、わかってはいるんだけど、嫌われたらって思うと怖いんだよ。かわいくてたまらないんだ」
と、言うのだった。
私は三きょうだいのなかで、祖父といる時間がぶっちぎりで長かった。
それはべつに、私が祖父にものすごく懐いていたからとかそういうわけではなく、単純にそうならざるを得ない状況にあったのだ。