朝の光が部屋に差し込む。そう時間を経ずとも煩わしいほどの熱量と化すだろう日差しも、早朝たる今に限ってはまだぬるいと言える範疇だった。半ば自室でもある書斎に、僕は静かに一人……というわけでも、ない。今現在、僕は何者かにしがみつかれては、つれてけつれてけツレテケと呪詛のように繰り返される言葉をこの身に受けている。すわ妖怪かと思いきや、そうしてしがみついているのは未だ幼いという形容の範疇に入る、我が娘。
僕はただの、ごく普通の、まあ……妻子持ちの男である。中年とはまだ言わないで済む歳とだけ言っておこう。
そんな僕は今、自分の娘にどこぞに連れて行けとねだられている。非常に面倒くさい。書斎で娘にしがみつかれる形。ああ埃が散る。もっとマメに整理整頓、いや掃除をすべきだったか。妻もいつの間にか連れて行ってやれよと言いたげな視線でそばにいる。はっきり言えばその責め立てるような視線よりも「いつの間に」の方が気になる。あからさまに外出前提の服装になっているし。
しかし、まあ、なんだ。出かけるとか。旅行とか。家族なんちゃらだとか。僕ァ本当にその手の行為が凄く面倒でしょうがない。それは僕自身が若い子目線からするとおっさんと呼ばれる年齢になったからでは、ない。根が出不精なのだ。生まれてこの方、自分の父母にも「どこかに連れて行け」とねだったことが無いのが誇りである。そういったお子様の欲望などひとかけらも理解できた試しがない。
「それで?」
他方、血を分けた娘であるこの子は、その身に宿した気力体力膂力をこの場で全て使わんとばかりにこちらへ「出かけたい」との意思表示をしている。誰に似たのか、という疑問は浮かばない。この無闇やたらに活気ある振る舞いは間違いなく、僕ではなく僕の配偶者に起因するものだろう。
一体どこに行きたいの。僕はその執念に呆れ半分、敬意半分で無造作にそう質問を投げかけた。
「デパートに行きたいっ」
デパート。デパートに連れて行けと子供に言われる……?
「今時……?」
と、意図せずして声が出た。それは否定や挑発の意によるものではない。本当につい、懐疑混じりにそう思ってしまったから発せられた言葉だ。しかしそれを聞いた妻から。
「どこそこに出かけたいって気持ちに年代など関係あるかっ」
そう豪快に一喝されると、つい「確かに」と思ってしまった。うんうんと、娘も頷いている。本当に意味がわかっているのだろうかこの子。
だが。この自分が今まで一貫して幼少のみぎりより出かける気の起きない人生を送ってきた人間の証明なのだし、逆の存在や気持ちもまた、しかりだろう。
そして僕はあくまで行くのが面倒なだけである。行きたいという気持ちがゼロなだけで、嫌いではないのだ。それは違う。大いに違うのだッ……僕の中では。
だから誰かに行こう、と言われても絶対に行けないわけでは、ない! 行かないだけで、行けないのではないのだ! 家族の頼みを絶対に跳ね除けるほど狭量と思われるのも癪だという、どこか自棄にも思える勢いで、僕は地元のデパートへ向かうため、車を出そうと書斎のドアを勢いよく開けた。同時に娘がガッツポーズにも似た、勝利の舞じみた奇妙な格好で歓声をあげる。が。
「運転は安全にしなさいよ」
異様に力んだ僕の様子を見て取った妻に、底冷えする声色で釘を刺され……僕は車を丁重に発進させ、安全運転を全力で心がけた。