ブリのエラを水を張ったボウルの中でゆすぎながら洗う長い指が、ときどきもてあましてるようにみえる。
「ちっちゃい頃、泥に足つっこんだりするのっておもろかった。そんなんせーへんかったか?コナツ。なんかちょっと妙な気分になるねんで」
爽が、台所に立つとよくこんな話をしていた。料理とくに魚は、爽の担当みたいなところがあって。
目に飛び込んでくる血の色は、水で薄められて流し台の傾斜を伝って流れてゆく。キッチンペーパーで水気を吸い取ると、まな板の上に載せられる。
その後、ブリと大根で煮付けを作ってくれたりした。
時々、爽を思い出しては宙を仰ぎたくなる。
この街を選んだのは駅の終点がまるで最果てみたいな雰囲気を兼ね備えていたから。
爽の口癖が<最果ての地に行ってみたいねん>だった。爽の行きたいは、いつでも行くっていう意味を孕んでいて、ロカ岬に旅立って、いったままほんとうに帰らぬ人になってしまったけれど。
この駅に初めて降り立った時はおまけに、ホームに夕陽まで差し込んでいて、じぶんの気持ちのなかのオワリのハジマリみたいなところが気に入ったのだ。
その足で商店街をのぞいた。ただひたすら歩いてなにかを忘れたかった。
「魚つる」のコバッチおじさんは、クロアチアから日本に来て25年以上になる。
「コンニチハ、ませ~」。辿り着いた場所でとても心地よくその言葉がわたしの中に滑り込んできた。はじめてのこの挨拶が決めてだったかも。
はじめに魚屋さんをのぞいたことがなにかの始まりだったかもしれないし、爽の導きだったかもしれない。なにしろここの市場で働く人のいきの良さにも惹かれた。魚と爽ははっきりと線を結んでいて、ここに住まへんかってお告げでも聞いているようだった。
週に一度は、ここに通うようになって3か月目。「イカください」って声をかけたらコバッチは、コナツサンって気づいてくれて、「イカのシテヤロウカ」って言うからなんだろうって思ったら、店長の三島さんが出てきて「ごめんね、小夏ちゃんイカの下処理のことなんだよ。ごめんねコバッチの独特な日本語だよね。ごめんごめん。で、しとく?」って聞いてくれて、あぁと、頷いて返事が遅れたらコバッチはイエスオアノーウィッチウィッチ、どっちどっちって口元は笑顔のまませっかちに畳みかけてくる。
ノーノー。アイムオッケーって答えたら、メズラシことある。ワーイ? ワーイ? 何故に? ってその理由を引っ張り出そうと前のめりになって聞いてきた。すごく近くにコバッチの顔があって、眉毛の太さとふたえの幅と奥の方にある青茶色の眼が、どこかの深海で泳いでいるまだ発見されていない不思議な魚の魚眼のようにもみえる。ふいに爽が訪れたロカ岬をイメージしていた。
今日はそういえば爽の誕生日。だから魚料理をつくってみたかっただけなのだ。コバッチは次のお客さんの接客に目を配って、帰り際振り返るとじゃね、コナツさんって手を振っていた。