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『受験前夜』小川貴之

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 夕方の五時になると、父は母に店じまいを任せて出かけていく。記憶する限りでは、その日課は僕が幼稚園生の頃から始まった。家族が病気になったり近い者に不幸があった時には控えていたが、ちょっとした規模の台風がやってきたり、世間を騒がす大事件が起きても途絶えることはなかった。
 僕がもし若い頃の父の姿を思い出せといわれたら、お店のシャッターをバンバンと叩いて母を呼び「ちょっと学校行ってくるわ」といって出かけていく姿だ。幼い頃は、父は働いたあとに勉強をしているすごい奴なのだと本気で思っていた。
 真実を知ったのは僕が小学四年生、姉が中学二年生の頃だったと思う。父は『大学』という名前の居酒屋に日参していた。子供に酒のにおいをまったく気づかせなかったのは、どういう仕掛けだったのだろう。そういう体質だったのか。酒のにおいを家庭に持ち込まない体質。ただ単純にきっかり飲む量を調整していたのかもしれなかった。
 地元民に愛される居酒屋『大学』は、商店街にある自転車屋の我が家から歩いて五分ほどのところにあった。商店経営者たちの集まり場になっていて、父はそこで夕刊を読んだり相撲中継を観たりして、軽い飲み食いと地元民にしかわからないような下世話なおしゃべりをして一時間ほどで帰宅する。深酒も寄り道もせずに、僕たちが夕飯を食べ始める頃にはちゃんと食卓についている。家では酒を飲まず、ごはんは〆代わりに食べていたのかもしれなかった。
 昼はしっかり働いて家族には可もなく不可もなく父親らしいことをしていたのだから、母は父の居酒屋通いを責めなかった。使ってくる金額が良心的だったのもあるだろう。ご近所さんからギャンブル好きの亭主の悪口ばかり聞いていたせいで、「まあ、それよりましか」と思っていたのかもしれない。
 姉が高校に進学すると、父の出掛けの一声は「ちょっと研究してくる」に変わった。「大学行ってくる」と直球でいうこともあったし、僕が期末テストや受験勉強に打ち込んでいると「試験行ってくる」や「面接受けてくる」などにアレンジされた。受験日が迫ってくると「ちょっと合格してくる」なんていったりして、ああ、あれは父なりの励ましだったのかと後になって気づいた。
 僕が大学を無事卒業し、東京での職も得て実家に帰ることが稀になっても、その日課は変わらなかった。そんなことが日常にあったからだろう、
「お姉ちゃん、大学に行くんだってよ」
 三ヶ月ほど前に父から電話でそう告げられたとき、僕は商店街をぶらぶら歩いて小さな居酒屋を目指す姉を思い浮かべた。今年三十二歳になる姉は、その想像の中では中学校の制服をまとっていて、うれしそうに微笑んでいるのだった。
 姉が大学への進学を望んでいるのは本当らしかった。ビールを片手に参考書を斜め読みする姿くらいしか想像できないが。
「面白いな。おまえの姉ちゃん」と父はいった。「大学に行きたい」じゃなくて「大学に行く」と、ある日の朝食の席で姉は両親に宣言したのだそうだ。
「近くらしいから、泊めてやりな」
「大学が?」
「いやホテルが」
 試験日の朝に慌てたくないということで、宿を取ろうとしていたらしい。そのホテルが僕の家のすぐ近くだった。とくに断る理由もない。「ついでにメシでもおごってもらいなさい」ということで、そのときには詳しいいきさつを聞かないまま、了承したのだった。

 試験前日の土曜、桐生市内の実家から少し離れたところにあるホームセンターまで買ったばかりの車で姉を迎えにいく。日帰りではどうせゆっくりできないので帰省はしないことにした。

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