だが現実にその願望を実現しょうとする女性は数少ない。まれに実現させた女性をみてみると、よほどの財産家とか、映画俳優、作家、芸術家といった特殊な階級に属する人々にかぎられる。そのような才能をなにももたないただ年齢だけいっている女が恋愛などにうつつをぬかしたらさいご、世間はまってましたとばかり揶揄嘲笑の標的にしないではおかないだろうし、家族からはいい迷惑だとそしられ、近隣からは後ろ指をさされることはまちがいない。
その覚悟があってはじめて、恋愛を口にできるのだ。
じぶんにそれだけの覚悟ができるだろうか。文代はベンチに背をもたせかけて、雲の多い空をあおいだ。
目の端に、屋上のはずれに設置された飛行機がぐるぐる回っていた。薄い青やピンクに彩りされた飛行機が、中央のポールからのびる鉄のアームにつながれて回転しながらだんだん傾斜していき、下からみていたらたいしたことがなくても、乗っているものにとっては結構スリルが楽しめる仕組みになっている。
いま飛行機には、二組の親子づれが、どちらも親がうしろ子供が前の座席にすわって、空を飛ばない飛行をたのしんでいる。親はともかく子供たちは大声ではしゃいでいた。
それをながめながら文代は、じぶんがまだ子供だったころ、学校の夏休みを利用してひとりで名古屋にすむ従兄のところにあそびにいったとき、彼につれられて百貨店の屋上遊園地にいったときのことをおもいだしていた。
そのときにもたしか、従兄といっしょに、いまみているような飛行機に乗った記憶がある。
そのときの飛行機は、わざと屋上のへりすれすれに設置されていて、飛行機から地上がみえるようになっていて、のぞくと足もとがゾクッとすくんだものだった。
なんだか、その当時のことが、よみがえってきて彼女は、啓二という名の従兄の顔を心のなかにありありと思い浮かべた。
いまでいうイケメンで、その当時はたしか中学生のはずだった。飛行機に彼と二人で乗れることがうれしくてならなかった。
彼はよく、文代を家の裏を流れる川につれていった。そこには近所の子供たちもあそびにきていた。
みな膝まで水につかって、水中生物をとったり、岸部に咲く植物を採集したりしていつも夢中になって、時間がたつのもわすれて過ごしたものだった。
いまなら子供たちだけで川であそぶことなどもってのほかだが当時は、みんなアバウトというか親たちは、子供のなかのリーダー的存在に自分の子供たちをまかせて平気でいた。啓二がそのリーダー的存在の一人で、そばでみていて文代が妬くぐらい、女の子たちからはよく頼られていた。
彼は泳ぐのも得意で、男友達といっしょに、岸部にせりだす高い岩の上から何メートルも下の水面にとびこんだり、みんなと競い合って流れをさかのぼったりするのをみては、文代は手をたたいて声援を送ったりした。
ああ、そうだ。と文代はいままた、その川でおこったひとつの、印象ぶかい思い出を心によみがえらせた。
しかしその記憶の末尾にはある不快なものがまつわりついていて、そのため文代は、この記憶にかぎってはさいごまでおもいだしたくなかった。だが、一度よみがえった記憶は本人の意思を無視して、あっさり全貌を浮彫にした。