文代はひとり、デパートの屋上にある、遊園地のベンチに腰をおろした。
人からみれば、デパートに買い物にきた年寄りが、大勢の買い物客たちにもまれて歩き疲れて、体を休めているぐらいに思ったことだろう。
たしかに、それも少しはあった。
けれども毎朝、家のちかくの河川敷に万歩計をぶらさげながら散歩にでるのは、伊達や酔狂ではなかった。
七十をすぎてからは、人一倍健康には気遣ってきた。ジムにも通い、ヨガや筋トレにも励んできた。おかけで足腰は同年配の連中と比較したら、断然しゃんとしているし、足取りにしても、見た目に軽やかなはずだ。
文代はさっきから、目の前をよこぎる人々にそれとなく意識をむけていた。こんな場所にくるのだから、親子連れは当然だろう。男性がひとりで、やってくるなんてことは、まずありえないかしら……。
文代は先日の、女友達との飲み会でのやりとりを、おもいだしていた。
月に一度のわりあいで、ふだんから仲のいいめんめんが居酒屋にあつまっては、飲み食いしながら話し合うようになってすでに一年がたつ。
みんな文代と似たり寄ったりの年齢で、だいたいこの年代が顔をあわすと、話すことといえば病気のこととか、法事や墓参りの話が主になるものだが、文代をとりまく女性たちが好んでする話題は、男のことであり、また恋愛のことだった。
七十代ともなれば、離婚組もいたし、すでに未亡人になっている者もいた。文代もまた三年前に夫をガンで亡くし、子供たちは独立して孫も三人いる身だった。
「――だからこそ、恋をしなくちゃだめなのよ」
生ビールのいきおいにまかせていきまいているのは、今年七十の声をきいた鴨下玲子だった。彼女の場合は夫もいて、子供たちとも同居していたが、本人の話すところによれば、これからが本当の恋ができるというものだった。経済的な心配はないし、とやかくいう周囲もない。第一、避妊の必要がない。
「高齢者の恋愛って、社会はもっと奨励しなくちゃいけないのよ」
「そんなものかしら」
それまで神妙な面持ちで玲子の話に耳をかたむけていた文代は、疑わし気にいった。
これが五十代というならまだ、可能性がないとはいえない。六十代でも、まあよしとしょう。じぶんはすでに七十をまわっている。世間では、まさに高齢者と呼ばれる年代だし、子供たちからは迷うことなくおばあちゃんと呼ばれて誰も異議はとなえないだろう。
恋愛なんて言葉じたい、遠い昔に自分の中では消去済みだった。心の奥底では、いつか自分の前に、すてきな男性があらわれることを、期待してないといえばウソになる。しかしそれはおよそ女なら、誰でももっている願望というもので、年齢を問わずすべての女性が手相をみてもらってまず聞くのは、じぶんの恋愛運のことだとまえに本かなにかで読んだ記憶がある。