「私、今みなさんに心からありがとう、と言いたいです。こんな素敵な街と人たちに、私はケチをつけていました。本当にごめんなさい。もう過去の嫌なことは全部綺麗さっぱり洗い流しました。今を楽しく生きていきます。北沢裕治さん、どうぞよろしくお願いいたします。崎元さん、今日からあなたとは友だちになりました」
裕治は私を抱きしめた。彼は抱擁の中に崎元を迎え入れた。三人は肩を組んだ。
「裕ちゃん、みんなの前で言うことがあるだろ」
マスターが笑いながら言った。
「何だよ。いきなり、意味不明だな」
彼は小首を傾げる。
みんなから呆れたようなブーイングがあった。
「もっとも大事なことだよ」
誰かから声が上がった。彼は我に返ったように背筋を伸ばした。
それから私をしっかり見据えた。
「松山幸代さん、こんな僕でよければ、結婚してください。こんな街でよければ、蒲田に一緒に住んでください」
私は笑顔を見せたかったけれど、嬉しすぎて、気を失いそうだった。
「はい、お申し出を受けさせていただきます。北沢裕治さんと一緒に蒲田に住まわせてください」
嗚咽しそうだったけれど、言葉を噛みしめ、しっかりと言った。
この夜を最後に私の過去の嫌な記憶は消えた。翌日、彼の実家に行った。ご両親から心からの歓迎を受けた。
蒲田は最初からあなたの故郷だったのでしょ、と彼の母親はさらりと言った。
その帰途、二人で路地裏のアパートに立ち寄った。そこには古ぼけたアパートがあった。階段を彼と一緒に上がり、203号室のドアを開けた。思った通りだった。
そこはただの空室だった。