「うん、前にも聞いた。でも、どんな仕事していたとか、何も知らない。」
「よく本を読んでいる人だった。あなたが成人してからは連絡取らなくなってしまって、仕事のこととか、ママもよく知らないわ。」
母の淡々とした口調に、私もそんなものかという気がして、ハイボールをちびちび飲んだ。その後、テーブル席の女性客が帰るのを待って、母と店を片付けてから家まで歩いて帰った。
小野さんのお嬢さんと約束した日、蒲田は久しぶりだ。買い物や友達と会うのは横浜か渋谷に出ることが多いから、京浜東北線に乗って蒲田で下車する機会はほとんどない。東急プラザの屋上にある「屋上かまたえん」は小さな遊園地のようになっている。観覧車があるのは知っていたけれど、間近で見ると本当に小ぶりで子供向けだ。反対側には赤・橙・黄・緑のカラフルなマイクロバスが4台停まっている。その辺りで待っていると、間もなく小野さんのお嬢さんが現れた。お待たせしてごめんなさい、とお辞儀しながら言う。紙袋の中身を私に見せながら、映像演技や演出に関する書籍が5冊入った紙袋を渡された。
どのタイトルにも興味をそそられて、さすが小野さんが私のために選んでくれた本だと嬉しくなる。
「ありがとうございます。大切にします」と心からお礼を言う。
「こちらこそ。もしお時間宜しければ、ちょっとお茶しませんか」
小野さんのお嬢さんに会うのも最後だろうと思って、一緒に3階のタリーズに入る。お嬢さんが首尾よく二人分のカフェラテの支払いを済ませてしまったので、私は独断でさっとミルクレープとチーズケーキを買う。テーブル席につくと、お嬢さんは緊張がほぐれた様子で親しげな笑顔になった。
「佐和さん、一度ちゃんとお話したかったの。姉妹なんですものね」
…え?今なんて?一瞬にして私の表情が凍りついたのだろう。
お嬢さんの顔の血の気もみるみる引いていく。
「あ….」
取り返しようのない言葉は取り返せない。彼女の激しい動悸が聞こえるような気がして、逆に私のほうが落ち着いてくるようだ。カフェラテを一口飲み、話を促すように彼女を見つめる。
「….知らなかったなんて。ごめんなさい。どうしよう」
彼女の話によると、小野さんは病気になってから家族に一切を打ち明けたのだそうだ。実は娘がもう一人いること、そして、私の舞台を観たり、たまには会っていることも。それで、私も小野さんが父親と知っているものと思い込んだようだ。物理的にも精神的にも小野さんの全てを与えられてきたと信じていた彼女は、父の告白に大きな衝撃を受けた。父に対する複雑な思いと葛藤しながら、同時に弱っていく父の看病をするのは辛かっただろう。本当の意味で気持ちの整理ができたのはつい最近だと言う。
「でも、父が亡くなった今となっては、父の血を受け継いだ娘がもう一人いて良かったとも思えるんです。しかも、素敵な女優さんだし。私は、父の情熱とか趣味とは全く無関係で…」