「東急プラザ屋上のかまたえんよ。50年前から観覧車が回っているじゃない」
「あそこは、夕方からビヤホールで、風に吹かれて飲むビールのうまいのなんのって」
植村が手の甲で唇をぬぐって、にっとした。
「きまったな」
十日後の日曜日、栗山は、須田の家に昼前に着いた。植村のほか、若い女と子どもが二人いた。男の子は知らなかったが、女の子には見覚えがあった。
じとっと額に汗がういた。なにかを思いだしそうになっているが、思いだしたくなかった。そうして何十年も、栗山は、記憶を押し殺し、生きる苦しみをねじ伏せてきたのだった。
テーブルの上を見た。手造りのチラシ寿司と焼き鳥、汗をかいたビール瓶が並んでいた。
「今日はご招待いただきまして」
頭を上げた栗山を見て、須田の女房が、若い女へ視線を移した。
「こちらは篠田明子さん、坊やは順一クン、譲ちゃんはマリっていうの」
明子は、緊張しているらしく、表情もからだのうごきもぎこちなかった。
テーブルにむかっているあいだ、栗山は、明子や順一、マリにほとんど顔をむけなかった。
顔を見ると心の奥底でなにかがうずく。何十年もたって、ようやく忘れかけていたものが、襲いかかってきて、栗山の心を引き裂きそうに思えた。
妻と娘の写真からいまはもうなにも思いうかばない。忘却と追憶のはざまにうかんだただのモニュメントで、死ぬとき、かならず胸に抱いていようと心にきめていた。
「今日は、これから、東急プラザ屋上のかまたえんで観覧車にのって、4時になったら生ビールをのむぜ、イエッー」
植村がおどけた声をだした。
「さんせいさんせい」と須田の女房がいい、須田がぽんと栗山の肩を叩いた。
逃げ出したいと思って顔を上げた瞬間、明子と目があった。
逃げるべきではないと思った。明子の一途でまっすぐな目が栗山の心に突き刺さってきたからだ。なんだろう彼女のこの目の色は、と思った。生きようとしている目だとすぐに気づいた。
かまたえんにつくと、順一は駆け出し、マリがよちよちとあとを追った。
栗山は、大きな風船のような遊具で順一とマリを遊ばせた。
気がつくと、手足が勝手にうごき、抱きかかえ、ささえ、二人をみまもっていた。
空気膜の小山にはいあがり、とびはね、ひっくり返り、笑い、鼻の頭に汗をかいて、順一とマリは夢中で遊んでいる。
栗山の背中を見ていた須田の女房は、栗山に子どもがいたのだと察した。
女にはわかる。子を遊ばせるのが上手な男はいるもので、子に慕われるのはつよくてやさしい男なのさ。
観覧車には須田といっしょに乗った。
眼下に蒲田の町がゆっくり動きながら広がっていった。
「おれには蒲田の町全体がメリーゴーランドに見える」