「どういう意味? もいっぺん言って? こどもだけ? ブレーメンの音楽隊みたいな話?」
質問好きの七生に面倒くさがらずに丁寧に百合子さんは答える。
「おうまがときよ。難しいほうの逢うっていう字に悪魔の魔に時間の時」
七生はただだまって宙で文字を思い出そうとしてしている。
「悪魔だって、俺そういうの大好き!」
「七生、ちゃんと聞いてよ。ふいにいなくなったり、いなくなりたいと思ったり、さらわれたいって思ってしまうような時間のことよ。そういう時は悪いことを考えている人と妙にタイミングがあってしまうものなの。そういう時を魔
が差すっていうの。わからなくてもいいからちょこっと頭に中にいれときな」
百合子さんは経営している屋上の観葉植物の専門店「グリーン・サム」で小学校3年のわたしたちにそういった。
七生とわたしは屋上の200円で動くペンキで彩られたクマとかパンダとかコーヒーカップの遊具を次々に乗り換えては遊んでいた。ゴールドクレストというツリーのミニチュア版みたいな鉢植えを抱えて、空を見上げている百合子さん。
七生とわたしもつられて、百合子さんの真似をして空をみあげる。
青や緑や赤紫のセロファンを目にあてた時みたいな夜の空をしていた。
「7時過ぎには仕事が終わるから、ちゃんとふたりっきりでまた戻っておいでね」
七生とわたしは屋上の重たいとびらをふたりで開けて、階下へと続く階段を何段か飛ばしで降りる。
7階では物産展をやっているらしく、醤油の焦げた匂いや海産物の海くさい薫りと、呼び込みの声が重なって聞こえてくる。賑わいの声は階段を降りるにつれて、その薫りと声が遠くなってゆく。
なぜか七生は、オウマガトキ、オウマガトキって憶えたばかりの不気味な言葉を呟きながら階段を半ば転がるように下降してゆく。どんどん七生の姿を見失いそうでわたしは不安になる。百合子さんの言っていたちょっと物騒な話も七生にかかると、無邪気で楽し気なもののように思えてくるから不思議だった。
店の2階の出入り口付近は広場になっていて、たまに7階の物産展の商品が壁に沿って並べられたりするちょっとした踊り場のスペースになっていた。
外のひんやりとした空気がマフラーの間を抜けてゆく。長く白い手すりが続いているそこに、七生とわたしは頬杖ついてちいさな雑居ビルの連なりを見ていた。蒲田の西口商店街のお日様が描かれたアーケードは、わたしたちが生まれる前からあるらしい。
ふと、七生が見渡しながら「おれとしおりぃの庭」ってぼそっと言った。
七生は聞き返されることを好まなかったから、そのままにしておいた。