口を開いたが、言葉が止まってしまう。でもボーちゃんは根気よくミチが話し始めるのを待ってくれた。
「うれしいよ、『はい』って言いたい。でもボーちゃんみたいに覚悟ができないの。今のサロンを辞めて、飛び立つ覚悟も。もう30になるのに、カッコ悪すぎ。本当に嫌なのは、中途半端なのは、ここじゃなくてそんな自分なの」
「ミチは、考えすぎ。好きなことをすればいいよ」
「結婚したら、そんなわけにいかないわ」
「なんで?関係ないと思うけど」
「でも、もし海外のサロンに行ったら、困るでしょ?」
「行きっぱなしなの?」
「いや、それはわかんないけど」
「帰ってくるなら、いいよ」
「だけど、子どもができたら」
「子ども奥さんに任せて、単身赴任で海外に行く男、たくさんいるよ。逆があってもいいじゃない。俺、転勤ないし」
「ボーちゃん一人で、子育てできるわけないじゃん」
「俺、一人じゃないよ。母さんも姉ちゃんもいるし、ミチのご両親もいる。あと、うるさいご近所さんが山ほど。それに区の子ども支援だって、フル活用するもんね」
「だけどっ」
「ミチが俺や子供をおいて海外に行くと言ったら、そりゃみんないい顔しないよ。だけど説得すればいいじゃん。時間をかけて根気良く。骨埋める覚悟ってそういうこと。ミチさえ本気なら、最後は人も町も力を貸してくれるさ。ここはそういう場所だよ、絆が広がるところだ。だから父さんは俺の町に、この蒲田を選んだんだから」
そのとたん、ミチの心におじいちゃんの顔が浮かび、熱いものがお腹の底からこみ上げて来た。でも我慢して口の内側をぎゅっと噛んでいると、ボーちゃんが力一杯抱きしめてくれた。
アーケード商店街のスピーカーが、タイムサービス情報を流し始める。ボーちゃんの髪の毛には、今日も寝ぐせがついてる。全然カッコ良くないし、何もかもが垢抜けない。だけどミチはとても幸福な気持ちで、ボーちゃんの狭そうで広い背中をぎゅっと握りしめた。