俺は理事長に向き直り、できるだけ紳士的な声色を努めて言葉を発した。
「とりあえず一度は、やってみようではありませんか」場の空気が弛緩する。ぱらぱらと拍手まで上がり出した。照れ臭くなり会釈を振りまく俺の目に、長机に置いた企画書の文言が飛び込んできた。
『6(決め台詞)人情とお惣菜の申し子、商店GUY。推参!!』
承諾してしまったことを、既に後悔し始めていた。
初稽古を見学した皆の総意としては、「地味過ぎる」ということだった。ホワイトボードに店の写真を貼り付け、マイクを持った俺が商品やメニューの紹介をしていくその様は、見事に地味で悲壮感さえ漂っていた。ここのコロッケは絶品、といくら声を張り上げても全く埒が明かないのであった。
「やっぱり抑揚がないとどうしようもないですよ。一人でもいいから悪役を用意しましょう。俺が探してきますから」切実な提案に異を唱える者はいなかった。
心当たりはいくつもあった。20年間、芝居ばかりやっていたのだ。売れた売れないに関わらず役者の知り合いはごまんといる。そうして意気揚々、手当たり次第に電話を掛けていったものの、俺が失意に暮れ項垂れるのに時間はそうかからなかった。まだそんなことやってるのか、と説教をくらい、悪いけどそんな暇はないよ、と嘲笑を受けた。就職が決まった。子供が生まれた。断られる理由は様々だったが、とにかく頼みの綱はぶつりと音をたて千切れた。
スカウトでもしてみようか、と仕事の休憩時間を利用して街に繰り出してみたものの、のんびりとした商店街には、悪が似合いそうな者など一人もいなかった。
見上げれば駅の向こう側に、ショッピングセンターのビルが強い初夏の陽射しを浴び悠然と聳えていた。商店街にとっての、憎っくき商売敵である。「行ってみるか」俺はビルの方へと足を踏み出した。『呼びーかけるよわたーしに』ほいっ。
駅を跨いだだけで、街の雰囲気は一変する。まずにおいが違う。揚げ物や醤油の香りに、「お婆ちゃん」みたいな匂いが混ざる商店街のそれとは似ても似つかず、こちら側は香水や焼き菓子が放つ甘い香りで満たされている。歩く者は皆こざっぱりとし、細身で華やかな服を纏った若者が多い。いかにも余所行き、といった雰囲気が立ち込めているその中を若干気後れしながら歩いていくと、ショッピングセンターの正面玄関が見えてきた。掻き分けないと通れぬ程に人が密集している。商店街とは雲泥の差だ。舌打ちをしても、華やかな喧騒にたちまちかき消されてしまった。
人生に、少し疲れ始めている俺みたいな者にとって、ここの洒脱さや若さは荷が重い。ここにいる人間は皆、順調な生活を送り希望に満ちているように見える。躓いたり引け目のある者は立ち去れ、そう言っているかのように見える。気のせいなのは百も承知だが、とにかくいけ好かないのだ。だから滅多にここいらには近寄らないようにしている。
「ポリスのCDってあるかな」ビル内にある大型のCDショップにやってきた。せっかくこちら側まで来たのだから買い物でもしていこうと思ったのだ。商店街にある美はる堂というCD屋には演歌と昭和歌謡曲しか置いていない。
「ありますよ。僕、大好きなんです。ご案内します」レジの若い男は俺の言葉に愛想良く笑った。彼の後をついてゆく。