俺が転校する数日前のこと、小学校の写真ニュース掲示板に相撲の記事が貼られていた。詳しい内容は覚えていないが、とにかく力士が載っている写真があった。俺と雨が帰ろうと掲示板の前を通りかかった時、俺がそれを指差して、「このお相撲さん、雨」と言ったのだ。すると突然、雨が俺に殴りかかって来た。雨は俺を数発殴って何も言わずに一人で去ってしまった。俺は冗談のつもりだったけれど、思春期に入りたての雨にとってはそうでなかった。ぽっちゃりしていることを自覚し、それを気にしていたのだろう。口下手だったから、どう反論すべきか言葉が出てこない。でも、ムカつく。それをどう処理して良いのか分からなくて俺を殴ったのだと思う。今だからそう推測できる。しかし。当時の俺も思春期に入っていたから謝るのが格好悪いと思った。雨もそうだったのだろう。ついぞ互いに謝ることはせず、別れの言葉も交わさず、そのまま俺は転校をし、縁は途切れた。
だから、俺の中の雨は、あの時のままで止まっている。
思い返せば、当時の俺は雨が羨ましかった。なにせ、雨はいつでもコーラが飲めるのだ(当時の俺はそう思っていた)。しかし、それを話すと「店のものだからね」と雨はつまらなそうに言っていた。それに父親がずっと店つまり家にいるのが嫌だとも言っていた。
そんなものだろうかと当時は気にしていなかったが、今は、むしろ俺があちこちに飛び回る職に就いたせいか、同じ場所にずっと居続けなくてはならない雨の親父さんの方が、よほどストレスはなかったのかと思ってしまう。それは年をとったせいもあるだろうか。
雨の親父さんだけでなく、いわゆる昔ながらの商店街はそう言った環境の人が多かったと思う。そこで生まれ、育ち、働き、人生を全うする。
最初から最後までずっと同じ場所にいることに飽きないのだろうか。
それこそブラジルとまでは言わないが外の世界に出たいと思わないのだろうか。
神戸の木工アーティストである大瀬さんは愉快な方であった。年齢は俺とさほど変わらなくて飄々としていて気さくであった。
インタビューと写真撮影を終え、俺も木工を体験することになった。はっきり言って俺は不器用だ。
「その辺の材料とか適当に使って下さい。道具も使い方分からなかったら遠慮なく」
そう言って大瀬さんは自分の作業を始めた。
何を作ろうか迷っていると俺の隣で早川さんがノコギリを使って板を切り始めた。
「何を?」
俺が尋ねると「棚を」とだけ答えて、自分の作業に夢中になっていた。
一向に何を作るか浮かばず手持ち無沙汰になったので、転がっていた丸い棒を手に取って、何度か振ってみた。俺だけではないと思うのだが、男は棒を持つと不思議と落ち着く。
結局、俺はその棒を切ったり、くっつけたりしてハンガーを作った。通常であれば金属であるフックの部分も木を使用した木製百パーセントのハンガーである。
大瀬さんも早川さんもそれを見て興味深そうに頷いてくれたので、少し嬉しかった。しかし、何を引っ掛けることができるのか、自分でも分からない。
神戸出張から帰った足で、そのまま俺が住んでいた街である蒲田に向かった。日曜だったので妻と息子を誘って駅で待ち合わせた。