この夕食は田植えの目玉イベントである。今とは違って100円回転すしなんかがまだなかった頃、お寿司は特別な日に食べる物だった。お寿司の皿の横にはさっきまで冷蔵庫で冷やしてあったジュース、ビール、そしてホッピーも並んでいる。夕方6時、待ちに待った夕食のスタートである。母親たちは今度はとん汁を作ったようである。みんな割り箸をぱちんっと割って、おのおの好きな寿司を選んで食べだす。
「さーちゃんわさびつけて食べてる!からくないの?」
「ちょーっとだけつけてごらん、お寿司がもっとおいしくなるよ」
やはり最年長は一歩進んでいる。お寿司といえばさび抜きしか頭になかったが、言われたとおりに、ちょーっとだけ、わさびをしょうゆに溶かして、つけて食べてみる。
「んー、おいしい、からくないね」
ほんのすこしだけわさびの香りがする。辛くはない。妹もまねし始めたが、加減が分かってないのでその場でもだえ、吐き出していた。それを見て、いとこたちはけらけら笑っている。おすし屋さんに行ってもさび抜きを頼まなくて良くなったのは、この頃からだったように感じる。母親たちもいよいよテーブルを囲み、大人たちはアルコールを開け始めた。いつの間にか大本家のおばさん、おじさんも登場し、一緒に飲んでいる。おばさんはホッピーで乾杯している。お酒を飲む女性はなんだか低い音程の声で喋る人が多いのを、子どものときから気づいていた。大本家のおばさんもそうで、笑い声なんか悪い魔女のようである。父は毎晩晩酌する習慣があるので、お酒を飲んでいつも以上に上機嫌になっている。母はほとんどお酒を飲まないが、このときはホッピーをグラスに少しだけついでもらって飲んでいた。テレビでは野球が流れており、点が入るたびに大人たちは歓声を上げている。子どもたちにとっては非常につまらない番組なので、食べ終わると別の部屋に移動し、遊び始める。このときが一番楽しい時間である。暗くなっている部屋で“暗闇かくれんぼ”なるものをしたり、お調子者の末っ子いとこがホッピーの空き瓶を持ってきてはおじさんのまねをして千鳥足で歩いてみたり、ちょっとしたエンターテイメントタイムなのである。
「おーい、かえるぞーい」
おじさんがほろよい加減で子どもたちの部屋にのぞきに来た。明日も会えると分かっているが、みんなとすごせる夜は今日だけなので、やはり寂しい。
「明日言ってた消しゴムで消せるペン見せてね?」
「おっけー」
また小さな約束をし、明日会えることを楽しみに玄関まで見送る。お酒を飲まないおばさんの運転でみんな帰っていった。
翌日も同じように田植えをし、順調に作業が進んだので15時前にはおじさんおばさんとともにいとこたちは帰っていった。
「あーあ、みんな帰っちゃったね」
「次みんな来たときにどこであのペン買ったか聞いてみようね」