「うわーお、おいしそうだなぁ」
おじさんがわざとおどけて、身振りまでつけて茶の間に入ってきた。子どもたちは箸を並べたり、おばさんがおぼんに乗せてくれる味噌汁を運んだりしていて忙しいので、だれもおじさんの小芝居に反応していなかった。それもそれで面白く、私は心の中でくすっと笑うのである。テレビをつけると、おなじみの鐘の音が鳴っている。のど自慢の番組だ。みんなでもくもくと食べながら、愛媛県のみなさんが楽しそうに歌っている様子に目と耳を傾ける。番組の最後に出演者の皆さんが大合唱している頃には、みんな食べ終わり大人たちはその場でだらけだす。昼食のあと、男性陣は茶の間で1時間ほど昼寝と決まっているので、子どもとたちは別室に移動し遊び始める。眠くなんかならない。
「ねえ、テレビゲームしよう」
妹と対戦するといつも自分が勝つのだが、いとことの対戦は五分五分で白熱する。
「もう一回やろう!」
こういうとこで負けず嫌いがでる。小学校低学年同士での対戦は、傍から見たらほほえましいが、本人たちは本気なのである。
「お前らはじめるぞー」
「えー、今盛り上がっていいとこなのに!」
大人たちの昼寝休憩はすぐに終わった。このときにいつも、“ずっと寝ててくれればいいのに、そしたら田植え終わらないからあさってもみんなと会えるのに”などど考えるのである。しかし大人は本業の仕事が連休明けにあるので、そうもいかない。夕方暗くなる前までに離れたとこの田んぼの田植えが少し始まったところまで進めなければならない。
母親たちは昼食の後片付けが終わり、足りなくなりそうなものを生協に買い物に行くと言っている。夜はお寿司の出前をとるので大した料理は作らなくて良いはずなのだが、なんでも揃えておきたい派の母親はすぐ買い物に出かけるのである。買いだめする性分の母は買った後の管理ができないため、賞味期限切れのものが冷蔵庫内で多々発見され、その都度私が捨てていた。テレビで買い物依存症の特集をやっていたときは、「ねえ、これお母さんのことだよ」といってみたが、本人は「ふん」とだけ言って肯定も否定もしていなかった。
「よしみんないくよ!」
最年長の一声でテレビゲームは強制終了され、みんな玄関に走り出す。午前とやることは同じなのだが、田んぼが家からどんどん離れたところになっていくため、運搬作業に時間を取られ始める。離れたとこの田んぼは最寄のご近所さんの目の前まで行くので、子どもの足にとっては相当な移動距離である。大人となった今では数分で往復できる距離だが、当時は広大な田んぼに見えた。ぴかぴかの小学1年生の頃の感覚では、小学校の校庭をはじからはじまで移動するのにすごく遠く感じたのだが、5年生頃にもなると「あれ、ブランコからにわとり小屋ってこんなに近かったっけ?」と思う瞬間があった。環境は変わっていないのに、自分自身の身体が大きくなるだけで見え方、感じ方が変わっていくのは神秘である。
「さー上の田んぼさいぐぞ」