「感情を表に出さない人。怒ったりしない人。だから、田所さんもやりやすかったのかもしれないなって。それでなければ、腹筋の鍛錬に余念がないなんて意味不明なヒントを出すとは思えませんもの。きっと、心では小バカにしてたりして」
車が急停止した。
思わず体が前のめり、鎖骨にシートベルトがめり込んだ。
「痛ッ」
赤信号。今日子が急ブレーキを踏んだのだ。
故意かどうか……朔太郎がおそるおそる今日子の横顔を覗き込んだ。
「あっはっはっ!」
今日子は突然あっけらかんと笑い出した。
「ごめん、ごめん。柴山君、おもしろいこと言うわね」
「そうですか……」
「うん、すごくいい。……そっか、本社は、今度はこういう若者をこっちに送り出してきたわけか」
「え?」
「丸山部長も柴山君のこと気に入ると思うよ。もちろん、柴山君も丸山部長のことをね」
「……」
そうですかね? ……とは朔太郎は口に出さずにおいた。
その晩、営業所をあげて朔太郎の歓迎会が催された。
とはいえ、丸山部長と今日子、それと曽根という事務方のおばちゃんだけの小さな所帯だ。朔太郎が四人目のスタッフとなる。四人でひとつのテーブルを囲んだ。
「なんでも好きなもの頼めよ。若いうちに遠慮はいらないぞ」
「あ、丸山部長はホッピーですか」朔太郎は訊ねた。
「そう。むかしはビール一辺倒だったんだけどさ、年々、健康診断のたびに、糖質だプリン体だが気になるお年頃になっちゃってねえ」
そう言って丸山部長は、ジョボジョボと白ホッピーをナカの入ったジョッキに注いだ。ナカとは焼酎のこと。白い泡がビールさながら、じつにうまそうである。
「だったら自分も、ホッピーで」
「お、無理するな。うちは、上司と同じものを飲まないといけないなんて、妙ちくりんなルールはないからな」
「無理なんてしてません。親父の晩酌によく付き合ってましたから」
「親父さんもホッピー派か」
「はい。親父はハーフ&ハーフを金ホッピーだと言って、好んで飲んでました。うれしいことがあった晩は、贅沢に二本空けるんだと言って」
そうか、と丸山部長は目を細めた。
今日子はカシスソーダを、曽根はウーロンハイを頼んだ。
「乾杯!」
「丸山部長」
今日子がグラスの三分の一ほどを喉に流し込むと、言った。
「柴山君、田所君の後輩なんですって。今では、憧れの先輩になっているそうですよ」
「そうか」
「へえ、あの田所君が」と曽根もうれしそうに口元をほころばせた。
朔太郎は、この営業所から東京に戻った先輩たちの目の覚める仕事ぶりを話して聞かせた。
丸山部長は、孫の話を聞くみたいに相好を崩した。
本当に人が好さそうだ。
人は好さそうだが、かなり、ヌルイな……と朔太郎はあらためて感じた。優しいだけでは、人はついていかない。どこか、毅然としたものがなければ、頼れる真のリーダーとは呼べないはずだ。先輩たちが戻りたくなかった理由は、いつまでもぬくぬくとしていたかったから……だと悟った。
けれど、朔太郎はそんなのは御免だった。