彼女のことについては、つとめて話題にしなかった。話題にしたって構わなかったが、なんとなくそうはしなかった。
急に冷え込んだ深夜だった。面倒なリクエストをする常連が帰って、先生しか客がなくなった。私は何枚か出しっぱなしだったレコードを棚に収め、今日もラジオをつけることにした。先生は、休みで、高校時代のチームメイトと飲んでいたという。
「いや、うちの母校はすっかり弱くなっちまって」
聞くと、じつは先生も高校球児だったという。最後の夏に肩を痛め、野球を続けることをあきらめたのだそうだ。
先生は、大学の整復医療学科に進み、卒業すると、接骨院で整復師として働いていた。そこに長らく勤めていたのだが、ある日、出勤してみると院長が施術室で首をくくっていた。相当の借金があったそうで、それを苦にしたらしい。先生には青天の霹靂で、次の仕事を考える余裕もなかったが、なんとなく、もう、整復師はやめようかと思っていた。ところが院長の葬式で、年寄りたちが、
「あんたがこの辺で開業してくれりゃあ、あたしらは助かるんだが」
という。悩んだ。それで自分と同じく急に職を失った女性の事務員に相談してみると、もし開業するなら雇ってくれ、という。信用出来る有能な彼女が事務方を引き受けてくれるなら││先生は一念発起し、かなりの借金をして、都営三田線沿いにシンプルな構えの接骨医院を開業した。整復師も何人か雇い、今では相当な繁盛をしているという。
「ところで関山さん。うちの仕事場周辺には何もないんです。なので最近は赤羽で飲むんですよ。どうです、こんど赤羽まで来ませんか。いいモツ焼き屋があるんです」
先生のいう、いいモツ焼きが無性に食いたくなって、埼玉県にほど近い赤羽という街に、何かこう、酒飲みのたまらない、というようなイメージが私の中に勝手に作られた。
サッカーのワールドカップで、日本代表がかなりの健闘をし、深夜の生中継だとかで一人も客のない日があった。日本チームは見事に勝ち、今日も深夜中継だというので、
(今日もぼうずじゃないか)
という予感が、すっかり労働意欲を失せさせてしまった。
だったら臨時に店を休んで、どうです、と誘われている赤羽に、足を伸ばしてみようかという気になった。先生もサッカーには興味ないといっていたから、さっそくその旨を打診すると、いい返事がきた。
いいにおいのする街だと思った。北口の駅前広場で、寒い手を擦りつつ待っていると、眼鏡を額の上に乗せた先生が、いやあどうも、と現れる。
「んじゃあ、さっそくいきますか」
いくつかある賑やかな通りのうち、一番街という大看板に入っていく。先生の靴は、いかにも老舗という店構えのノレンの前に止まった。ニカッと笑い、ここですよ、と得意げに指を差す。先生は、躊躇なく引き戸を開け、ひょい、という感じで入っていった。
調理場を囲んだカウンターのみの店内は、落ち着いた賑わいで、私たちと同じように、ワールドカップとは連絡がないらしい。