「いや、この方はわかってるよ、関山さん」
これまで、満足に話せる相手がなかったのだそうだ。先生は、休日ともなれば、地方球場にまで足を運ぶほどの高校野球マニアだったのだ。
「こんな居酒屋で……といっちゃあ失礼だが、まさかここで同志に巡り会うとは」
先生はそういって嬉しそうに膝を打った。彼女も球場に足を運ぶなかなかのマニアだったのだ。
それから彼女は「源八」によく現れるようになった。先生は、自分の分析と一致する彼女の見解に接するたび、うんうんと首肯し、こっちの顔もほころぶほど、いい笑顔を見せるのだった。
夏の甲子園大会が終わって、はっきりとした秋の風が吹くようになると、どういうわけか彼女はパタリと現れなくなった。先生も来なくなった。二人の間になにかあったのだろうと、すぐに察することができたが、店主や常連たちは、とくに話題にしなかった。みんな、他者の事情に無関心だった。あるいは寛容だった。いつの間にか商店街に新しい店ができて、前の店が思い出せなくなるみたいなことにすぎなかった。
「いやあ、関山さんどうも。シブい店じゃないですか」
ある日、先生はふと私のロック・バーに現れた。
「先生、どうしたんです。最近『源八』で顔を見ないので心配してましたよ」
「いやあ、雇っていた若いのが一人やめてしまってね。どうしても遅くなってしまうんです」
以来、先生は、「源八」のノレンを横目に、ときどき私の店に来てくれるようになった。私は、先生にために、メニューにはなかったホッピーを仕入れることにした。音楽には興味の薄いほうだろうと思ったから、先生しか客のないときは、ラジオをつけ、適当な番組にチューナーを合わせたりした。母親が送ってくれた垂乳根の漬け物をタッパーから出して、野球の話ばかりした。
めずらしく店が混んでいるときでも、かまわず入ってきてくれた。けれど、私の店の客は、音楽に精通しているものが多く、あれこれレコードをかけさせては、マニアックな話ばかりを展開したがった。そういうときは、先生は無口になって、地蔵のような顔で煙草を吸っていた。
肌寒い日だった。先生しか客がなかったので、ラジオのチューナーをいじって適当な番組を流していた。
「関山さん。今、かかったのは、『Z』ってバンドの曲ですかね?」
たまたま合わせた音楽番組のMCが、視聴者のリクエストを受け付けたらしい。
「そうです、そうです。懐かしいですね。数年前に、ギタリストが自殺しちゃってね」
『Z』は、ずいぶん前に派手なビジュアルで有名になったロックバンドである。
「そうらしいですね」
「先生、こういう類のロックなんて聴きますか」
「ま、聴きませんね」