(いやぁ、でも)と言う兄貴の声に被せるようにして強引に通話を切った。
日が暮れ始め、辺りがオレンジ色から藍色に変わる。家から歩いて20分。駅前にある寛治君の店が見えて来た。
中止になったと電話したら「強行するぞ!美玖!」と、いつになく強気な寛治君の声が返ってきた。
仕事帰りのサラリーマンが行き交う中、前を歩く姉と両親は、その落胆ぶりを背中一面に貼り付けたように明白だった。相変わらずわかり易い。
本命の会社だけじゃなく、もうすでに数社から不採用通知を受け取っている姉。これまでは、本命じゃないから全然平気と言って笑い飛ばしていたけれど、今度ばかりはだいぶ落ち込んでいるのかもしれない。
「こんばんは」
今日は貸切なので、他に客はいない。いつものBGMも流れていない静かな店内の様子を伺って、ガラス張りの引き戸を引いた。
と、寛治君と目が合った。
お互いにキュッと口元を引き締めて頷きあう。
「よっ、」
寛治君の明るい声だけが狭い店に充満する。けど、3人はそれぞれに片手を挙げたり、頷いたりしただけで無言のまま小上がりの畳に向かった。
程なくして、テーブル一杯の料理が出来上がると、ホッピーの黒い瓶を両手に持った寛治君がカウンターの中から出てきた。
目が合うと、お互いにキュッと、もう一度頷き合う。
「さっ、食べよう!あったかいうちに!ねっ」
私が箸を持って声を張ると、寛治君がホッピーの瓶をテーブルにトンっと置いた。
「あっ、」
母はチラリと姉をみやってから寛治君に目配せしてキツく睨んだ。
「義姉さん、今日こそホッピーだよ!飲まなきゃ」
いつも物静かな寛治君が、声を張ってできる限りの笑顔を母に向けた。
「そ、そうだな!今日こそホッピーだ!飲むぞ!夏美」
一番ショックを受けている姉を差し置いて、自分が落ち込んでいる場合ではないと、やっと気づいた父が生気を取り戻したように動き出す。
父がホッピーの瓶を持ち上げて威勢よくグラスに注いだ。
パチパチと弾ける泡。静かな店に音を響かせる。
その音に釣られるようにして姉がじっとグラスに視線を注いだ。
「見たくないっ!もうホッピーなんて一生飲まないっ!」
吐き捨てるように言った姉は、揚げたての唐揚げを二つ一気に口に入れた。
(そ、そんなに?!)とこちらが思う間もなく、その熱さにハフハフと口を開けながら小さな目を瞬かせると、見る見る表情を崩して、鼻で大きく息を吐き出し、突然に大粒の涙を零した。
「ひほぉい、ひほぉいよぉ、」
どうやら(ひどい)と言っているらしかった。言いながら口の中の唐揚げの熱さと戦い咀嚼する。鼻を啜って涙を流し、また咀嚼する。
その姿を見守った。みんなで息を潜めるようにして見守った。
やがて二つの唐揚げを飲み込んだ姉は、おもむろにホッピーの瓶を鷲掴みにして、そのまま口を付けてラッパを吹き鳴らすように上を向いて傾けた。ゴクゴクと喉を鳴らして一気に流し込む。
「はふっ~」
口と鼻の両方から止めていた息を吐き出して涙を拭った姉。