「もしもし美玖、今日お願いしたケーキなんだけど、キャンセル出来る?」
電話口で忙しなく言った母は、ため息と共に声を落としてから寛治君にも知らせておいてと言う。
こんな事もあろうかと、ケーキは最初から予約していなかった。今は当日でもネーム入のホールケーキを買うお店はいくらでもある。
就活に励んでいた姉、夏美の3次選考の結果が今日出るという知らせが入ったのはつい一週間前だった。
姉にとって本命中の本命!ホッピーの会社。
我が家では父の晩酌はいつも焼酎のホッピー割りが定番だった。
ビールよりも安く、焼酎で割って飲むとホッピー1本でグラス二杯の酒が楽しめる。祖父の代から始まったらしいその習慣は、少しでも家計にやさしくと考えた祖母の提案だったと幼い頃に聞いた。
毎晩、グラス二杯のホッピー割を飲んで上機嫌になる父。3年前大学へと進学した姉が20歳を過ぎて一緒にホッピーを飲むようになった。
「ホッピーはカロリーも低いし、プリン体もゼロだから、身体にいい酒の肴と一緒にしたらもっといいと思うんだ!だから私そうゆう料理を開発する仕事に就きたい」
愛嬌のある小さな目を思いっきり見開いて希望に満ちた顔で言う姉。
「それは酒の肴がメインじゃなくて、ホッピーメインだろ」
父が手酌でホッピーをグラスへ流し込みながら言うと、(あっ)と言いたげな顔をした姉は「じゃ、ホッピーの会社にする!」と言って、二人でがははっと笑いあう。その笑いに釣られるようにして母もまた「そうねぇ!」と言って笑った。
3人はいつもこんな風に笑い合って単純に物事を決めてしまう。家族なのだから笑い合うのはいいと思う。けれど、単純過ぎないか?と思う。
そりゃ、私だって姉の望みが叶えばいいと願っている。子供の頃からちまちまと細かい事に悩んでしまう私。そんな私と正反対の姉は、いつも明るく元気で。大丈夫!美玖なら出来るよ!と、幾度も落ち込む私を励まし助けてくれた。姉の元気に何度助けられたかと思うと、私だって、どうか神様!お姉ちゃんの望みを叶えてって気持ちにもなる。
でも、あの大手の会社に対して(それにするっ!)みたいな、安直な考えで決めてしまって良いものかと。当時高校生だった私でさえ思った。
それが叶わなかった時の家族の落胆を思うと、心配だと感じる気持ちだけが膨らんでいく。
やる気になっている姉と、手放しでそれを応援しようとしている両親を目の前に、水を差すような事になる自分の考えなど口には出来ない。
言いたい事を飲込む度に、自分だけが対岸に取り残されてしまったような気持ちになった。
しかし、そんな私の心配を他所に、姉は3次選考まで歩を進めた。