「やっぱり、寛治君のおかげかしらっ!」
母は嬉しそうにホッピーの黒い瓶を冷蔵庫へ詰め込みながら言った。
寛治君は父の弟。五年前、脱サラして居酒屋を始めた。父の弟だけあって、ホッピー好きだ。それが高じてホッピーを置いた居酒屋を開いたと言っても過言ではないと、私は思っている。
ホッピーには、ビールと同じようにサーバーから直に注ぐ生ホッピーと言うものがあるらしい。家庭では常備出来ない生ホッピーの美味しさに魅了された寛治君。居酒屋を開くと宣言してからわずか二年で実現した。
生ホッピーを扱うお店が近くに少なかった事も良かったのか、五年経った今でも結構繁盛している。まぁ、理由はそれだけでもないとは思うが。
寛治君は、父の弟だけど父とは違う。物静かで穏やかだ。人の話しを聞くのが上手で、喜怒哀楽も父のように明白に表に出したりはしない。何より単純ではない。居酒屋を開くと言った時も、資金や立地、経営についての勉強も抜かりなく習得していた。私にとっては、対岸にいる父達よりは頼りになる大人だと思っている。
その後、姉がホッピーの会社にエントリーシートを送ってからと言うもの、両親は居酒屋の店長になった寛治君に会うたび、よろしく頼むよ!と懇願し続けていた。
いやいや、ただの居酒屋だから。と言う寛治君。
そう、ただの居酒屋なのに両親にとってはコネのひとつとでも思えていたのだろう。物事を単純に考える両親らしい発想だ。そして、困った顔の寛治君は、助けを求めるようにいつも私へ視線を向けるのだ。
竹を割ったような性格。兄貴を一言で表すなら間違いなくこの言葉がピッタリだと思う。ちまちまと細かい事に思い悩んでしまうオレとは真逆の性格。悩んだ時も苦しい時も、兄貴に大丈夫だっ!なんとかなる!頑張れ!そんな風に言って貰える事が、オレには何よりの活力になって来た。
居酒屋を開きたいと言った時、猛反対した父を説得してくれたのも兄貴だ。長く銀行員として働いてきた父にはありえない人生の選択だったのだと思う。あのまま親子の縁を切られても仕方がないと思っていたのに、今では父も月に一度必ず店に顔を出してくれる。
夏美と美玖の成長も、節目毎に招いてくれて一緒に楽しませて貰った。
40歳を過ぎて未だ結婚もしていないオレに、両親や姪達との家族の暮らしを与えてくれたのは兄貴だ。
平凡な毎日に幸せを感じる時があったからこそ、義姉さんの落胆も、兄貴のやるせない気持ちも痛い程によくわかる。
(仕方がない)そう頭では理解しているが、姪を不採用にした会社を恨めしく思わずにはいられなかった。
しかし、世間は厳しい。どんな思いがあろうと真っ直ぐには進めないものだ。就きたい職を得られなかった夏美を不憫だと思いながらも、若いうちに挫折を味わうのも決して無駄ではないのだとも思う。
集まりは中止だと言われていたけど、オレは強行する事にした。
「もしもし、兄貴か。今夜予定通り店に来いよ!」
「えっ、美玖から電話行かなかったか?」
兄貴はまだ仕事中のようだ。声を潜めて言う。
「あったよ!でも来いよ、こんな時こそホッピーだろっ?!」