と標準語でいかにも都会風の洒落た男を装いながら注文した。
「他に注文はよろしいですか」
さっきまで「無」の表情を顔に張り付けていた店員は、口の端を緩めながら問いかけてくる。
七尾は店員とは目を合わせることなくただうなずくと、店員は無言で去って行った。
店員がいなくなった途端、七尾はさっきの店員の口元のほころびが気になって仕方なくなった。頭に無数の想像が駆け巡る。
「あの人は俺が居酒屋で緊張してんのを分かってんのやろか。それとも声が裏返ったんに気付いたんかな。」
気になりだすと放っておけないのが、七尾の性格である。しばらく下を向いた後、目立たないよう、そっと目だけを店員が帰って行った場所に向けてみる。
しかし、店員の姿はさっきまでの定位置である、そこにはなかった。おそるおそる周囲の客にも目を凝らす。おやじ達は周囲の様子を気にも留めず、赤ら顔で話すことに夢中である。
自分の失態に気付いた人物が今のところいないと悟った七尾は少し安心した。途端、先程の店員が厨房に笑顔で何か話しかけながら店内に姿を現した。不意に引っ込んでいた体の中のムズムズが再発した。
店員は顔をほころばせたまま七尾の席に向かって歩みを進めている。
「あの無愛想な店員がこんな顔をするのはおかしい」
そう思いつつ七尾は店員に焦点を絞る。同時に鼓動が速くなるのを感じた。店員がニヤニヤを顔に装備しながら徐々に近付いてくる。七尾の席に来ると
「お待たせしました。ホッピーになります」
そう言って店員は雑に透明の液体が入ったジョッキと茶色い瓶をテーブルに置き、あっさりと去って行った。
七尾は先程の店員の顔のほころびの訳を知りたかったが、自分が想像していたよりも店員がさらりと去って行き、自分の自意識過剰に若干の恥ずかしさを覚えたが、運ばれてきた「ホッピー」を目の前にした途端、突然頭が真っ白になってしまった。
注文したのは良いものの、七尾はこの酒の飲み方を知らない。
「早く飲まないと」
という焦りが七尾の体内に渦巻き始めたのである。
思考が停止して何分経っただろうか。
七尾は今まで仕入れてきた酒の知識を総動員させ思考にふけっていた。
「ホッピー」
そのはつらつとした響きを持つ単語から七尾は、それが一杯のグラスに、なみなみでなくとも、「良い感じ」の量がそそがれた、それも元気な色をした液体が運ばれてくるものであると予想していた。
しかし、七尾の予想は見事に外れ、目の前にはジョッキに入った透明の液体と茶色い瓶が佇んでいる。
「初めての飲酒を大切にしたい」
その思いだけを胸にこの場所に足を運んだが、酒の知識を蓄えずに、居酒屋に来る日を迎えてしまった自分を七尾は恨んだ。
はたからみれば七尾の今の姿は、日常に思い悩んでいる青年にしか見えないだろう。
そんなことには気にも留めず、七尾は体の動きを停止させたまま、ただテーブルに置かれたジョッキと瓶を見つめていた。
早く「飲酒」という体験をしたい。だが、格好良くも飲みたい。二つの相反する気持ちと戦うこと十分。茶色い瓶の表面には、細かな水滴が現れ始めていた。