『あと一杯飲んだら帰ろっか。』
と彼が言った。
この後を期待していたわけではないが、少しがっかりとした気持ちになった。
2人きりで飲むのはもう5度目になるだろうか。
彼と私は最寄駅が同じで、その最寄り駅から電灯の少ない薄暗い小道を通った先に、場違いにちょこんと佇む、淡く光る赤提灯が目印のこの小さな居酒屋を、私たちは『いつもの店』と呼んでいた。
その赤提灯の淡い光が、薄暗い小道に、一層と寂しさを引き立たせており、通るだけで少し気分の落ち込むこの道が、私はあまり好きではなかった。
特に、彼と飲みに行くために通るこの道は、気分の落ち込みが増した。
暗く先の見えない小道と赤提灯の光と、進展しない彼との関係と淡く期待する私の心が、重なって見えたからかもしれない。
ただ、今日は少し違い、気分が高まった。
美しい満月が小道を照らしているなか、主張してこないその淡い赤提灯の光を初めて美しいと思ったからだった。
初めてこのお店に来たのは、彼との初デートでおしゃれなイタリアンへ行ったその2次会だった。
以降、1次会から、この店で始まり、この店で解散となっていた。
そのことに対し、毎回、切なさを感じていたが、今日の私は、『彼にその気は無い』と、気持ちが割り切れているおかげか、いつもより切なさを感じずにいられた。
お酒が好きな彼にとって、周りの女性より少しお酒の強い私は、良い飲み仲間なのだろう。
『そうだね、明日も早いし。』
反射的に、彼に少し張り合った発言をして、すぐに恥ずかしくなった。
そしてその恥ずかしさを拭い去るように、手を上げ、店員さんを呼んだ。
『すみません、ホッピーセットください。黒で。』
『お、渋いね。じゃあそれ二つで。』
彼の満面の笑みでそう言った。ちょっとおじさんっぽいお酒を私が頼むと、彼は喜ぶのだった。
そして私の承認欲求も少し満たされた。
ただ、ホッピーを頼んだのは、その承認欲求を得るためだけではない。
ホッピーは1杯では終わらない。ナカを頼むことで2杯飲む口実となるのだ。
彼はその私の作戦には気づいていないだろう。作戦は成功だ。
そんなことを考えていると、ふと私の口角が上がっていることに気づき、またも恥ずかしくなり、無理やり真顔に戻した。
『せっかくなら、ナカを2回はおかわりしたいな。』