すると高木もメニューを覗き込んできて、ごく自然にこう言った。
「次は夏美さんの好きなお酒にしましょう」
「え?」
夏美は自分が思いもよらない選択肢を高木が示したことに驚いた。相手に合わせるか合わせないかという意地でも、主導権争いでもない。ああ、高木ってこういう人なんだな、と夏美は目を開かされた思いがした。
じゃあ、と夏美はメニューを見つめ、まず甘すぎるサワーは外した。ワインも日本酒も大好きだが、どうせならゆっくり座って飲みたい。ビールはやっぱり一杯目に飲んだ方がおいしいし……。
夏美は先ほど自分で打ち消したが、もう一度黒を飲んでみたいという気持ちが湧いていたことを思い出した。今それを元彼に拘って否定することは、自分に対しても、高木に対しても不誠実に思えた。
「じゃあ……ホッピーの黒」
夏美の言葉に、高木は複雑な表情をした。
本当は黒が好きなのに、一杯目は僕に合わせて白にしたんですか、という微妙な空気が流れた。中途半端に気を遣うくらいなら、最初から、「私は黒」と言ってくれれば良かったのに、夏美さんらしくないですよ、という顔だ。
こういうところが高木は分かりやすい。分かりやすくて好きだ。
だけど誰かを好きというだけでは、私が私の人生を歩いていることにはならないのだ。高木が白派だとか元彼がどうとか、そういうことにはもう振り回されてはいけない。自分の経験値としての黒ホッピーが、今、飲むと、どんな味で、どんな香りになるのか、私が確かめたいから私が飲むの!
夏美の決然とした表情を見て、高木は通りかかった店員に、
「ホッピーセット2つ。黒で」
と頼んだ。
今度は二人で黒を飲み始めた。元彼との苦い思い出を差し引いても、夏美には黒も美味しく感じられた。高木の存在がそうさせるのか? 夏美が過去を払拭できた証しなのか?
あれこれと思いを巡らしているうちに夏美はあっという間に一杯目を飲み干してしまった。高木は必死で追いついた。そして何を思ったか、夏美のジョッキを取り上げた。
「え? なに?」
高木はジョッキに、残った黒ホッピーを注ぎ、店員に白を頼んでハーフ&ハーフを作った。
「夏美さん、今日からこれにしませんか? 僕たちのホッピー」
高木はまた、夏美に思いがけない提案をしてきた。
「僕たちのホッピーって……高木君と、私の?」
高木が照れたように前髪を掻き上げた時、指が照明の笠に触れた。揺れる明かりの下で、高木の顔に光が当たったり影が差したりした。
私の顔もきっと同じに見えているのだろう。高木も私もいろんな顔を持っている。思い出したくない過去もあれば、聞きたくない、聞いてはいけない過去もある。それと同じくらい、あるいはもっとたくさんの忘れられない感動や、甘酸っぱい思い出も。高木はそういうことが分かっている人なのだ。
一緒にいるけれど、同じではない。それは寂しいことではなくて豊かなことだった。
それを伝えられる今の高木と、それが分かるようになった今の夏美が出会えたこの夜、この場所が、ふたりの初デートになった。