私は今日もホッピーを飲んでいる。冷凍庫でグラスを常に3つは冷やしておいてある。キンキンに冷えたグラスに焼酎とホッピー、それから手持ち無沙汰になったらマドラー。氷は要らない。
祖父のマドラーはまだ私の手には馴染まないけれど、いつか私の手のかたちに変形してくれればいいな、と思う。
そうしていつか、祖父と私が使い込んだこのマドラーを別の誰かが使ってくれればいいな、とも思う。その誰かもきっとホッピーを飲んでくれればいいな、とも。
変化は時に、故人を偲び、残された者を癒す効果があるようだ。
ホッピーは手間のかかる飲み物だ。缶を開けて流し込むビールのうまさも知っているが、ホッピーにかかるその手間がなんとなく心地いい。まあ自分で調節しているから当たり前だが、日によって変わる濃さも愛嬌がある。
祖父はだいたいナカ2杯でソト1本を消費していた。思い出せないことは年々増えていくばかりだけれど、好みの酒の濃さと煙草の銘柄は、いつまで経っても忘れられないな。
私は大体ナカ3、ソト1だ。祖父が亡くなるまではナカ4、ソト1なんて日もあった。祖父の葬儀の翌日はナカ2でソト1で飲んだ。祖父は決まってナカ2だったのを思い出したからだ。
だめな日にはほとんど焼酎ストレートのような濃さで飲んでいた。アテもなしで、ただひたすら酔って忘れるために飲んでいた。私には酒を楽しむ余裕も、資格もないと思っていた。
いまは違う。だめな日もあるけれど、そしてそのだめな日自体が減ったわけでもないけれど、ホッピーにも焼酎にもマドラーにも失礼だと思ったのだ。
「酒好きなら、酒からも好かれる飲み方をしなきゃならん」と、かつて祖父は言っていた。祖父は酒に愛されていたと私は思う。どんなときも祖父の酒の席はご機嫌だったし、祖父のところへ酒を飲みに来る仲間もまたご機嫌だった。
私は、何かを忘れるために酔っていた。そのためなら料理酒だって飲んだ。でも、違うよなあと、母から祖父の形見であるマドラーを手渡されたときに思ったのだ。
でも、違うよなあ。でも、違うよなあ。マドラーを手渡された日の晩、ごろごろと転がりながら、どう変えていけばいいかも分からないままに、違うよなあを繰り返していた。
マドラーを床に転がしてみるが、いびつなかたちのせいでうまく転がらない。あんなに上手に酒を混ぜられるマドラーも、畳の上じゃあ回転できないか。ものにはそれぞれ得手不得手があるもんだ。
私はこうしてごろごろ転がることができるけれど、それ以外のことがまるでできないよ、なあ。うまくいかないし、大好きなじいちゃんは死んじゃうし、そうこうしている間に夜だし、天体は回転するし。
現実をやさしく保護するのは、果たして過去か、酒か、未来か、夜更けか。剥き出しになった現在に、私はただ転がることしかできずにいた。