酒井は雑多とした飲み屋街にある一軒の店の前で立ち止まった。
「確かここがあいつの言っていた店だな」
酒井は大学時代の友人の大麦と飲む約束をしていた。大麦と飲むときは酒井が店を決めることが多いのだが、今回は珍しく大麦が店を指定してきた。
酒井は一部上場企業に勤めるいわゆるエリートサラリーマンだ。現在は会社の中心として働いていて、大きなプロジェクトのリーダーを任されている。
年齢は現在30歳でまだ独身だ。といっても、女性と付き合うのが苦手というわけではなくて、これまでもそれなりに女性との付き合いもある。一流企業の社員という肩書もあり、見た目も悪くなくそれなりに女性にもモテる。ただ、本人が結婚しようと本気で考えていないだけだった。
酒井は、頭もよく仕事もできるし、他人との協調性もある。ただし、酒井は、何に対してもどこか冷ややかというか冷めたところがあった。仕事で結果をだしたときも、表面上はみんなと笑顔で喜んだりしていたが、心の中ではうれしい気持ちも達成感も特に感じることはなかった。
酒井はちらっとまわりを見た。飲み屋街には昔からある昭和の大衆居酒屋といった雰囲気の店が並んでいる。あちこちで、これから飲もうという年配のサラリーマンや、いい感じで酔っぱらった中年男性が歩いているのが見えた。
酒井は店の中に入った。店の中を見回していると、奥の席にいた大麦が酒井に向かって手を上げた。
「よう、遅いじゃないか。道に迷ったか?」
酒井は大麦のところに行き向かいに座った。大麦はすでに酔っぱらっていて顔が真っ赤になっていた。
「仕事でちょっと遅くなってな」
酒井が答えると、店員が注文を取りにやってきた。酒井は生ビールを注文した。
「一流企業のエリートサラリーマン様は大変だな」
大麦が皮肉を込めて笑いながら言った。
大麦はアニメの制作会社に勤めている。この会社に勤めたのはもちろん、アニメが好きだからだ。太った体形に伸び放題の髪、まさにオタクそのものといった感じだ。もちろん独身だ。こちらは酒井とは違って、これまで女性と付き合ったことは全くない。
二人は性格も趣味も全く違うが、なぜか気が合って、大学入学時にたまたま同じ授業を取って知り合いになって以来二人でつるんでいることが多い。その付き合いは大学卒業後も続いていて、年に一回は顔を合わせて酒を酌み交わしている。
店はかなり賑わっていた。店内には昭和の香りが漂っていて、昭和のアイドルが歌っているといった感じの曲が流れていた。客はその音楽を心地よさそうに聴きながら、ちびちびお酒を飲んだり、会話を楽しんでいる。