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『青春のほろにがホッピー』頼富雅博

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 マスターは元ミュージシャンで、店の壁には何本ものギターが架けてある。お客が少ない時にはマスターが弾き語りで歌ってくれた。陽水の「傘がない」、布施晃の「シクラメンのかほり」、高田渡の「自衛隊へ行こう」や岡林信康の「友よ」などはこの時にマスターの解説付きで教えてもらった曲である。そして、私はこの店を知ったおかげで生まれて初めての酒を口にした。マスターのお勧めで出されたのはホッピーという茶色の可愛い瓶だった。Iによれば、とにかく安くてすぐに良い気分になれる酒だという。マスターが「ホッピーっていうのはね、昔は代用ビールとも呼ばれてビールの高かった時代に下町の職工さんたちがビールの代わりに飲んでいたもんだ。一番スタンダードな飲み方はジョッキに焼酎を入れてホッピーで割る。それも不思議に安い焼酎がホッピーには合うし、うまいんだ」と注いでくれた。
 果たして口にするとビールのようでビールではない。心地よいほろにがさが気に入った。もちろん、Iの言うようにジョッキを2杯、3杯と飲み進めていくと顔が火照り、何とも良い気分になってくる。これが私とホッピーとの出会いだった。ホッピーとギターと歌。この店は私にさまざまな新鮮な感動を与えてくれた。私も受験勉強を中断している後ろめたさもホッピーを飲んでいくうちにどこかへ飛び去り、大都会での生活を満喫していた。

 この店にやってくる人はさまざまで、みんなフレンドリーだった。こちらが浪人生だと知ると、「がんばれよ」とホッピーやラーメンをおごってくれたり、東京の地理を教えてくれたりもした。どこかしら多士済々な人々の集う梁山泊のような雰囲気のする店だった。Iの導きで私もこの小さな店が行きつけとなり、アパートにいない時にはほとんどこの店で時を過ごす日も多くなった。

 気がつけば居候生活は1週間が過ぎ、半月近くになった。申し訳ないので帰郷しようとするが、当のIはその都度「慌てんでも。もう少しゆっくりしていけ」と引き留めてくれる。その言葉に甘えてもうしばらく東京生活を続けさせてもらうことにした。徐々に東京にも馴染んでくると同時に初めて口にしたホッピーのうまさもわかるようになってきた。当時、若者がよく口にしていたジンフィズやコークハイには目もくれず、私は専らホッピーを飲むようになった。それは一目ぼれに近いものだった。

 Iの演劇仲間ともよく飲んだ。みんなI同様にバイトで自活しながら、舞台に立てる日を夢見ている男女だった。ホッピーを酌み交わしながら彼らの演劇論を聞いていると、歳もさほど変わらないのに彼らがずっと大人に思えた。きらきら輝く瞳を見ていると、こちらまで元気をもらえそうな気がした。すべての出会いが刺激に満ちていた。東京に出てきて本当によかったと心底思った。出てくる時には充満していたはずの閉塞や焦燥が雲散霧消し、何となく将来に対しても楽観的で気楽に考えられるようになっていることにも気づいた。すべては出会った人たち、そしてホッピーのおかげである。こうして1980年の私の夏が終わった。

 幸いに翌年、晴れて大学に入ることができた。その後もバイト代を貯めては東京に遊びに行くことを楽しみにしていた。当然、宿はIのアパート。以前にも増して会談はキュー、キューと悲鳴を上げていたが、私にとっては妙に安らぐ空間だった。マスターのスタンドバーにも顔を出し、ホッピーを飲んだ。つまみは安いパンの耳。それで十分だった。マストロヤンニ、アバ、カレッジフォーク、ヒッピー文化、エンタープライズ、三里塚・・・。

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