「母さんが、居なくなった」
携帯の留守電に残された、父からのメッセージだった。
家を出て行った喜久恵を追い掛ける守の声は、何度も息をきらしながら、途切れ途切れにいつも留守番電話に残されていた。
普段は無口な父から、そんな電話が夜ごと増えるようになったのは、ちょうど一年前に母が脳梗塞で倒れ、その後遺症から認知症を患い、夜になると家を飛び出すようになってからだった。
喜久恵は今年、八十四歳になる。
喜久恵と同じ歳の守は、昭和の高度成長期を三白景気と共に生きた、化学のエンジニアだった。
「母さん、居た?」
「あ、文江か。また母さん、階段から降りて行った。十五階からだぞ。まったく、逃げるように早いんだから。」
「それで、居たの?」
「ああ居たよ、いつもの公園に。」
「あ〜、よかった。今度の週末は帰るから。」
脳梗塞の後遺症で、高次脳機能障害を患った母を連れて、神経内科医や、脳神経外科医を尋ねる機会が増えていった。
「先生、母が黒いコートを忘れたと言って、最近よく探すようになりました。」
「どんな風に探しますか?」
「坂の上にある学校の、教室の一番後ろの机の上に、置いて来たと言います。坂の上にある学校というのは、家の近くにはないのですが、母が忘れたと言うコートも、家にはありません。」
「先日の認知症の検査では、数字的には認知症と出ていますが、認知症の患者さんが物を探す探し方と、少し違うのですよ。」
「どんな風に違うのですか?」
「認知症の人は、ないないと、ただ物を探すといった感じですが、お母さんは、具体的に忘れて来た場所の様子を話される。そこが違うのですね。」
「忘れて来た場所の説明は、いつも同じなんです。」
「高次脳機能障害と認知症の症状が、いろんな形で現れているのかもしれませんね。」
先生と向かい合ってきちんと腰掛けた喜久恵は、少し視線を下に落としながら、先生の言葉に耳を澄ましているように見えた。
丸く屈んだ、その小さな背中に触れながら、
「母さん、先生に何か伺うことない?」
口元を半分隠すように、手の平で覆いながら、
「あの、先生、食べるものは何を食べても、大丈夫でしょうか?」
「何でも食べて大丈夫ですよ。食事の制限はありませんから。」
その言葉に、嬉しそうに目を細めた。