それは、
誰かが誰かを思い出し、記憶に優しく触れるもの。
体と感情を繋ぎ、言葉さえも越えるもの。
人生において、道を照らし彩る色が四重奏となって響き渡り、ほんの少し、未来が変わるもの。
由衣にとっては、そういうものだった。
六本木は今日も猛暑に襲われていた。
アスファルトに反射する手加減のない熱を浴びながら、人々はそれぞれの目的地に足を向ける。都会の真ん中では、排気ガスさえ行き場をなくし、酸素濃度が低いようにも思われるが、ここミッドタウンでは、隣接する檜町公園やミッドタウンパークが都会というコンクリート砂漠に緑を添え、オアシスのような空間を作り出していた。
中央にそびえるタワーは、オフィスワーカー達を優しく抱き抱えるように、美しい湾曲を描いている。
由衣は小さな黄色い手提げを肘にかけ、同僚の美保と弥生とタワーのエントランスから外へ出た。
ティッシュにハンカチ、お財布に携帯、メイク道具に筆記用具、絆創膏。ランチに出るだけなのにやたら荷物が多いと美保に茶化されるが、由衣にとってはこれが最小限の荷物なのだ。やれティッシュはないか、ささくれ取れそう、眉毛が半分消えたなどのピンチを救ってきたのは他でもなく由衣だった。
由衣より身軽な二人は、ドアの前で待ち伏せしていた真昼の熱波を顔面で受け止めていた。
「暑ッー!」
美保の眉間と口元が歪む。
「あ〜、またシミできるわこれ。」
弥生は持っていた小さめの財布で顔に影を作ろうと必死に角度を調整したが、その努力も虚しく、おでこにカードサイズの影がチラチラ揺れるだけだった。
美容にとことんお金を惜しまない弥生にとって、日差しは天敵の一つだったが、美保の「黒酢あんかけ食べたくない?」の一言に賛同し、本日は天敵と戦うランチタイムになったのだ。
「久しぶりに外で食べるね。」
由衣は持っていた手提げを持ち直した。
「だねー。結構ミッドのランチ続いたからね。たまには新鮮じゃない?って言うか、それ意味あるの?」
美保は弥生の頭上でくねくねと角度を変える財布を見ながらニヤニヤとしていた。
「もーッ!言わないで!少しでも防ぎたいの!」
時に夏は、大人の正気をも奪う。