戻ってきた吹江の顔を見ないようにしながら、俺はめかぶだのアスパラだのを貪り続けた。心が弱っている時は、健康的な食べ物に手が伸びる。熱々のモツ焼きなんぞには目もくれず、山羊かなにかの草食動物が憑依したかのような勢いで黙々と緑を食み続けてゆく。
「いつも、吹江がお世話になっております」ジョンレノンのような風貌の男が深々とお辞儀をしてきたのは、ニラのおひたしの小鉢を手に取った時だった。あまりの丁重なお辞儀っぷりに、思わず俺も席を立った。「こりゃどうも。はじめまして」
顔を上げた男はまん丸フレームの眼鏡を外すと、フレームに劣らぬ程にまん丸な目をこちらに向けた。じいっと見つめてくるので、気恥ずかしくなってくる。
「小関平太です。どうぞよろしく」言った途端、男は顔をくしゃくしゃに緩め、俺の肩を掴んだ。
「やっぱり平ちゃんだ。俺のこと、わからない。よくプラモとか一緒に作ったろ」
記憶よりも先に、震えがやってきた。小鉢を持ったままだったら取り落としていたところだ。癖のある柄シャツにてろりんとしたズボン。畳敷きの狭い部屋で炊いていた甘ったるいお香の香り。
「お兄ちゃん」隣のアパートに住んでいた、あのヒッピーだった。
予備の椅子がないんでカウンターへどうぞ。にこやかな店主の勧めで、丁度その時空席となったカウンターに5人で移動した。
「改めて紹介するね。鶴岡響さんです」
「鶴岡です。いやしかしびっくりだなあ。吹江と平ちゃんが同級生で、今でも付き合いがあるなんて。こんなことってあるんですね。あっホッピー、お願いします」
響さん、吹江、俺、妹ちゃん、小山内と並んでいる。ハッピーなヒッピーとフッピーの隣にアンハッピーなヘッピーが座りホッピーを呑んでいる。なんと滑稽で皮肉的な光景だろうか。ワハハハハha。
色んな感情が渦巻き過ぎてわけがわからなくなった俺は、さぞ奇妙な顔をしていることだろう。表情筋をこわばらせてニヤニヤするしか出来ないそんな俺を気遣うように、妹ちゃんがそっと耳打ちしてきた。
「今日は、飲んじゃいますか」
「……うん。妹ちゃんも呑んでくれるかい」
「その『妹ちゃん』ていうの、もうやめませんか」
「え。あ、じゃあ、真尋ちゃん。呑みましょう」
真尋ちゃんは嬉しそうに頷いた。頬が赤らんでいる。今日はまだそこまで呑んでいない筈なのに。
「それでは、奇跡の再会第二回と、お二人の愛を祝して、かんぱあい」
小山内の音頭で俺たちは乾杯した。ホッピーの味は、いつもより、少しだけほろ苦く感じた……。
そんな風にカッコよく思えないところが俺のモテない所以なのだろう。ホッピーは冷たくて、仄かな苦味と甘味で、シュワっとして、拍子抜けするほどいつもと変わらぬ旨さで胃袋へと収まっていった。グラスをじっと眺めていると、印刷された『ホッピー』のロゴの『ッ』が、笑った顔のように見えてくる。光の加減だろうか、それはいつもの『ッ』よりもにこやかだった。楽しんで呑もうゼ、と俺を励ましているかのような表情をしていた。
「ホッピーの『ッ』がいつもより優しい顔してる」真尋ちゃんの方を向いて言うと、彼女はキョトンとしたのち、笑い出した。
「もう酔っ払ってるんですか。ほら、ちゃんとおつまみも食べないと。モツ焼き美味しいですよ」
手渡されたモツ焼きを頬張り、油と塩分が微かに残る口内を、ホッピーで洗い流すように呑み下す。
「あああたまらん。すいませんおかわりっ」
今日は少し呑み過ぎても、いいかな。ホッピーの『ッ』は俺の問いに答えることなく、汗をかいたグラスの上で、ただニンマリと笑っていた。