9月期優秀作品
『最後のキス』太田ユミ子
一
日曜日の昼下がり、絵里子はマンションで一人の昼食を終え、リビングのソファーにゆったりと座り、コーヒーを飲んでいた。神戸市東灘区にある分譲マンションはJR摂津本山駅から徒歩五分、阪急岡本駅から徒歩七分の便利な場所にある。開け放したベランダに続く窓から台所の小窓へ風が吹き抜けてゆく。七階なので風通しがよい。九月に入っても暑い日は続いているが、セミの合唱はいつの間にか消え、空は蒼く高くなった。サイドボードの上に置かれた電話が鳴り出した。
「突然、お邪魔します。タイム・コーポレーションの斉藤と申します。中川絵里子様、いらっしゃいますか」
年配の女性の声だった。はい、私ですと返事すると、
「おめでとうございます。あなたは新発明の電話のモニター候補に選ばれました」
よくある手口だ。当選したなんて人を喜ばせておいて高価な商品を買わせる。休日のこの時間帯はこのようなセールスの電話がよくかかってくる。
「これはセールスではありません。国家プロジェクトです。あなたは何千万人の中から選ばれた最終候補者です。この素晴らしい幸運を捨てないでください」
何千万人から選ばれた?国家プロジェクトだなんて、おもしろい誘い文句だ。
「新発明の電話って、どんな電話なの?」
つい、乗ってしまった。ヒマだったし―。
「これは極秘プロジェクトです。絶対に他の人に漏らさないと約束できますか?出来ないなら、今すぐに電話を切ってください」
絵里子は素直に「はい」と言っていた。
「過去につながる電話が発明されました。声だけのタイムトラベルが可能になりました」
そんなこと信じられない!絵里子の気持ちを見透かしたように、
「信じられない話でしょう。電話が発明された時もテレビの時もそんなこと出来るはずが無いと、誰もが思い込んでいた。でも、不可能が可能になる時が来るのです」
斉藤さんはよどみなく説明を続けた。あの時言えなかった言葉を伝える画期的な発明。政府は三十年前に秘密裏にこのプロジェクトを組み、研究を続けて来た。物質や生物の移動はまだまだだが、音声だけを過去に繋げることには成功した。
「電話は未来にはかけられません。電話が普及していた時代の過去にしかかけられません。通じるのは三十秒だけです。今のところそれが限界です」