9月期優秀作品
『心のお守り』中村ひな
2017年春。私は念願だった一人暮らしを始めた。自宅から、職場の保育所まで通えない程の距離ではなかったが、学生の頃から理由もなく一人暮らしに憧れを持っていた私は、大学を卒業すると迷うことなく、家を出ることを選んだ。
初めての土地、初めての環境、初めて関わる人。不安というよりも期待の方が大きく、夢にまで見た楽しい日々が始まる予感で、胸がワクワクしていた。
しかし、現実はそう甘くないことに気づくのに、時間はかからなかった。
就職してから3ヶ月が経った。
「いい加減にしなさい!!」自分でもびっくりするほどの大声、いや怒鳴り声を出していた。それでも走り回り、全く言うことを聞かない子ども。「今はお話を聞く時間でしょ」「止まりなさい」「待ちなさい」どんな言葉を投げかけても一向に聞く耳を持たず、それどころか、行動はさらにエスカレートし、おもちゃの箱をわざとひっくり返す。しかも私を見て、ニヤリと笑いながら。
イライラしちゃいけない、そうは思うが周りの子どもたちの叫ぶような甲高い声、先輩保育士の鋭い視線、早く止めなきゃと焦る気持ち。それらの波が一気に押し寄せ、頭の中が真っ白になった。その瞬間、「もう無理」そう呟いて私は部屋の外に出た。いやその場から逃げ出した。
その後どうやって家に帰ったのか、記憶がほとんどない。先輩保育士が投げかけた言葉も右から左に受け流し、「もう今日は帰っていいよ」そう言われたことだけ覚えている。
「もうダメかも、家に帰りたい」あの夢にまで見ていた一人暮らしも、今となってはただただ寂しく、不安な気持ちに追い討ちをかける様な静けさは、今となっては、つらさしか残らない場所となった。しかし両親の反対を押し切って家を出た身としては、今更「帰りたい」なんて言えるはずもなく、かと言って悩みを相談すると弱音を吐いてしまいそうな気がして、それも気が引けた。
結局家を出てからは一度も家族とは連絡を取っていなかった。
無理やり目を閉じても、眠ることが出来ず、時計は11時を回っていた。
眠れないとき、ベッドの上で過ごす時間はとてつもなく長く感じる。睡魔に襲われることなく12時になった。
すると、ピロン♪とスマホが音を立てた。ここ数カ月、仕事関係以外では誰とも連絡を取り合っていなかったので、この時間にスマホがなることも滅多になかったので、驚いた。メールの受信画面を開くと、「あっ」と声が出た。
母からだった。そうか、私、今日誕生日だったんだ。