結婚してから何年も、二人には子供ができなかった。吉蔵はそれが不満だったのだろう。呉服屋の跡取り息子だったから、舅も「早く子供を」が口癖だった。
授からない理由が華の子宮の病だと分かったのは、嫁いで七年経った頃のことだ。
病を夫に告げるとき、華は離縁を覚悟していた。
だが吉蔵は女房ではなく家を捨て、浮気の虫もぱたり止んだ。
「あのぼけは、全部忘れちまってるのかねぇ」
里芋を味付けしながら、華は呟く。
「……まぁ、どうだっていいけどね」
たとえ忘れてしまっていても、重ねた日々は変わらない。
――と。華の思考を遮るように、玄関の呼び鈴が鳴った。
華が首を傾げていると、
「おぉい婆さん。秋山先生が来たよ」
茶の間から、大きな声で吉蔵が言った。
「秋山先生って?」
「往診の秋山先生。月に一度来てくれるだろ」
ちゃぶ台に手を突いて立ち、伝い歩きで玄関に出ようとする夫を、華はあわてて止めた。
「あんたは客間にいて。あたしが行くから」
転ばれでもしたら、大変だ。コンロの火をそのままにして、華は玄関に出た。
訪ねてきたのは三十そこそこの医者だった。
「あら。いらっしゃい。えぇと」
「医者の秋山です。こんにちは、華さん。お体の具合はどうですか?」
「あたしは平気だけど旦那がね。飯の事ばかり言うのよ、ぼけたみたいで困っちゃうわ」
「……そうですか」
お邪魔します。穏やかな物腰でそう言うと、秋山は馴れた様子で客間に入った。
「吉蔵さん。こんにちは」
「あぁ、秋山先生。いつもどうも」
華はしばらく診察を眺めていた。が、
「それじゃあ、あたしは失礼しますよ。呉服の仕立てが残ってるんでね」
華が去ると、秋山は吉蔵に切り出した。
「吉蔵さん。奥さんの具合はどうですか?」
吉蔵は、白髪頭を静かに振った。