9月期優秀作品
『うるわしきひととき』広瀬厚氏
やわらかな風が吹きぬけて
たおやかに唄う
虫たちに心うばわれて
ことば失くした
うつくしきものを探しては
よごれてゆくばかりの
まいにちのなかにて見つけた
うるわしきひととき ♫
と、小さな自動車修理工場のかたすみで、つんだタイヤのうえにポツリと座り、ギターをつま弾き自分は歌っている。
そう、とてもひまなのである。車の性能が向上した結果、昔にくらべ格段に故障がへり、めっきり修理での入庫がなくなった。ここのところ自分は、妻とふたりでほそぼそと経営する、この自動車修理工場に危機を感じずにはおられない。はたから見ればのんきに歌っているようだが、実は内心、なんとかせねばと大変あせっているのだ。
が、それと同時に心のかたすみに「お客様も家族と同然と思い大切にし、誠意をもって真面目にずっと商売をしてきたんだ。いまは苦しいけれど、きっとなんとかなるに違いない。大丈夫だ」と言った思いもあるにはあった。
「コーヒーはいったわよ」
妻の清美が、そんな自分にコーヒーをいれてくれた。仕事の手を、否、ギターを弾く手を休め、事務所で妻とふたりコーヒーをいただく。
「こう仕事がないと昭次さん、歌とギターが上達しちゃうわね」
「なんだそれは嫌みかい? 」
「べつに嫌みじゃないわよ。ほんとこの頃ずいぶん上手になったなって、感心してるの」
「うん、自分でもそう思う。ありがとう」
「で、それはいいとして仕事のほうどうにかしないとね。なにか考えなくちゃ。このままじゃ… 」
「うん…… 」
残りのコーヒーを一気に飲み干し自分は、なにか良い集客方法はないものかと、一生懸命に首をひねった。ひねってひねってねじ切れそうなほどひねった。のに、なにも頭に浮かばない。が、なんとかしなけりゃならぬから、さらにひねった。しかしひねってもひねっても、やはり良い考えがでてこないので自分は、うーむ、とうなってみた。
そのときブーンと、十月にはいってもう秋だって言うのに、自分の思考を邪魔するように、蚊の羽音が耳をわずらわせた。イラっときて、とっさにデスクのうえ目にはいった殺虫剤を手にとった。蚊はどこだ? と、辺りをそっとうかがった。耳をすました。ブーン、と聞こえる。羽音がするほうへと目をやった。見つけた。飛んでいる。自分は蚊に狙いを定め、殺虫剤のトリガーを引いた。プシューッ! と噴射ノズルからジェットの勢いで殺虫剤は放たれた。見事命中! あわれ秋の蚊は力なく地べたに落ちた。南無阿弥陀仏
「コーヒーごちそうさん」
自分は、とにかく今やれることを頑張ろう、と思い席を立った。そして事務所をでて再びギターを手にとりつま弾き歌った。