ソファで眠ってしまった沙耶を抱っこして子供部屋へ向かった妻はそのまま出て来なかった。
カランッ!妻の手からテーブルに置かれたグラスから氷が溶けていく。
ギュウギュウ詰にされた朝の満員電車。何とかしてつり革を掴める場所に立つ事を望んで乗り込む。けど、毎日つり革には届かない場所へ流されてしまう。両足を踏ん張り電車の揺れに逆らわないようにと身体を揺らしながら、子供の頃離婚した自分の両親の事を考えていた。
「お母さんとお父さん、別々に暮らす事になったの。ごめんね」
母が言ったその言葉に驚いたりしなかった。もうずっと前から両親の様子が変だとわかっていたから。
まだ5歳だった妹は小さい頃からあまり父に懐いていなかったから(うんいいよ)とにこやかに答えたけれど、オレは鼻の奥からこみ上げて来る熱い水分を抑える事が出来なかった。
驚いてもいないのに、予想出来ていた事なのに、それでも悲しかった。
父は(ただいま)や(行ってきます)を言わない人だった。ごはんの時も(いただきます)や(ご馳走様)を言わない。それが嫌だと母が怒っていた。
母が怒る度、父は意地になってそれを言わないようにも見えた。
小さなケンカが何度も重なり、やがて母は(おかえり)も(いってらっしゃい)も言わなくなった。
(大人のくせに!)と思ったけれど、そんな事子供の口からは言えなかった。だからオレは父の代わりに(いただきます)や(ただいま)を精一杯元気に、大きな声で言うようにしていた。だけど両親はオレの頑張りになど気づく事もなく、だんだんと話す回数が減った。
「奈央、ほらっ行くよ」
「お兄ちゃん待って~」
毎晩、妹の手を引いて寝室で過ごす父とリビングで過ごす母の間を行ったり来たりしていた。妹を巻き込んで何とか家族みんなで過ごす普通の時間を作りたかった。何も話さなくてもいい。別々の部屋で同じテレビ番組にチャンネルを合わせるよりも、家族皆で一緒にテレビを見て過ごしたかった。
無口で頑固な父でもオレや妹と遊んでくれる時はとっても優しい顔をしてくれた。いつも忙しそうにしている母でも、やっぱりオレや妹と接してくれる時は忙しい手を止めて真剣に向き合ってくれた。
どっちが好きかなんて選べなかった。だから、ふたつの部屋を毎晩必死に往復していた。
ただいまも言わずガチャンッと玄関を開けてそのまま寝室へ入っていく父を、何とか玄関で捕まえてリビングへ引っ張って行く。そうしていれば、いつかまた昔みたいに仲良しの家族に戻れると思っていた。
(あの時、もしも自分が両親の気持ちを動かせる何かを言えていたら。)
今更考えてもどうにもならないとわかっているけど、何も言葉に出来なかった自分への後悔が年々深くなる。