娘はいい人がいると俺に報告したいのかもしれない。結婚するという報告か?それともそれを飛び越えて子供ができたとでもいうのだろうか?いい人と幸せになってくれるのならそんなうれしいことはないし、安心できる。きっとその報告でさっきから落ちつきがないのだろう。
「このたい焼き旨いな」
「喜んでくれてよかった。でね、あのさぁ」
娘の言葉が詰まる。とうとうか……。そう思っていると娘が俺の顔を伺いながら口を開いた。
「シュウカツって知ってる?」
「は?シュウカツ?」
結婚か妊娠という言葉を待っていた俺は、そうではない言葉に戸惑った。
「人生の終わりに向けての活動。最近よくエンディングノートって聞かない?」
「は?」
結婚や妊娠という喜ばしいことの真逆を娘は口にしている。俺が死ぬことを切り出されたようだ。娘の幸せをこっちは願っているのに、娘は俺の死を考えているのかと思うとじわじわと腹が立ってきた。
「家族はお父さんと私だけでしょ。こういうことって元気なうちに話しておいたほうがいいって前から思ってたんだけど」
娘はエンディングノートとやらをテーブルの上に載せた。その帯には「先延ばしにすれば後悔する。元気なうちの行動が幸せなハッピーエンドへ」と書かれていた。
「俺に死んでほしいのか?さっきから縁起でもないことばっかり言いやがって。たい焼きで俺の機嫌取ったかと思ったら死ぬことかよ」
怒りで思わず湯呑をガチャンとテーブルに置いた。その音を聞きながら俺はなぜここまで怒っているんだろうと我に返った。人間いつか必ず死ぬ。娘の言うことは間違ってない。だが我に返ったタイミングはもう遅く娘は怒り出した。
「怒らなくてもいいでしょ。私だってこんなこと言いたくない。だけどいざとなってからじゃ遅いでしょ。お父さんの希望を聞いておけばその通りにすることができる。普段ろくに会話もしないんだからこのままじゃ、万が一のとき何をどうしていいかわかんないでしょ。お母さんももういないんだよ。私一人なんだよ。だから思い切って切り出したのに、何よ」
エンディングノートを娘はテーブルに叩きつけた。バンという音が静けさの中で冷たく響いた。
「俺は美香がそわそわしているからてっきり、結婚とか子供が出来たとかそんな報告かと思ってたんだ。なのに俺が死んだらなんて縁起でもないこと言われたら腹も立つだろ」
湯呑のお茶を飲み干そうとしたがすでに空だった。
「そんな報告できたら喜ばせられたと思う。でも縁がないんだから仕方ないでしょ。私しかいないから、お父さんに何かあったときのこと考えると不安なの。だから元気なうちからどうしたらいいのか聞いておきたかったのに。本当はお父さんが死ぬなんて絶対嫌なのに。でも人間、いつかは絶対来るでしょ。だから、だから」