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『八重ちゃんの小さな家』末永政和


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 そう言っている間にも、薄暗がりに広がった蜘蛛の巣が旦那様の顔に引っかかって、旦那様は片言で喚きながら両手をぶんぶん振り回している。必死の思いで窓をあけて、外の光を取り込んだ。照らし出された室内は、自分で言うのも何だが惨憺たるありさまである。畳はところどころカビが生えていて穴まであいている。板間も湿気で腐っているし、壁もあちこちはがれている。何せ先の戦争以来、5年近く誰も住んでいないのだ。
「これはお前、だまされたのかもしれないな」旦那様がため息をつく。
「日が暮れてしまう前に、せめて居間と台所だけでも掃除しておきましょう。きれいにしてあげれば、案外住み良いかもしれませんよ」
 八重ちゃんが言うと、旦那様はきょとんとした顔をしている。私も手伝うの? そう言いたげである。八重ちゃんは素知らぬふりで、旦那様に雑巾を押し付ける。子どものような顔をしているが、存外たくましいようだ。
 こうして引っ越してから初めての共同作業が始まったわけだが、何せ蛇口をひねれば茶色の汚い水がほとばしるし、ほうきをかければ埃が盛大に宙を舞う。旦那様は早々に嫌になって、近所に挨拶に行くと言っていなくなってしまった。八重ちゃんは一人取り残されて、絶望的な顔をしている。電球買ってきてくださいね……かける言葉も尻すぼみだ。

 八重ちゃんは両袖をたすきがけにして、覚悟を決めて掃除にとりかかった。ほうきとはたきと雑巾を駆使して、次々に汚れを落としていく。私のからだはどんどんきれいになっていく。このときになってようやく、私は八重ちゃんたちが来てくれてよかったと実感したのだった。
 しかし私は、八重ちゃんに意地悪なことをしてしまった。不可抗力だから仕方ないのだが、以前から私のなかに住まっていた住人が悪さをしたのだ。
 居間の掃除を終えて、裏の廊下の電気をつけようとしたときだった。カサカサといやな音をたてて、黒い物体が八重ちゃんの足もとを走り抜けていったのだ。かわいそうに、八重ちゃんは声をなくしてその場に凍り付いてしまった。「どうしよう、どうしよう」と弱々しい言葉がもれてきた。
 八重ちゃんは胸に手を当てて大きく深呼吸をした。ほこりがのどに入ってたちまち咳き込んでしまう。涙目になって、途方にくれて、それでも家のことは自分が仕切らなければならないと言い聞かせる。勇気をふりしぼって電気をつけると、足もとには小さながま口のような……ゴキブリの卵が転がっていた。そしてカサカサと逃げて行く黒い群れ。天上には蜘蛛の巣が盛大に網をはり、とらわれてしまった蛾やハエが、まだ命あるもののごとく吹き抜ける風に揺れていた。
 八重ちゃんはなるべく嫌なものを見ないですむように目を細めて、掃除を進めていった。そうやって廊下の半分ほどを終えたときに、また目の前でかさりと黒いものが動いた。
 すっかり状況に慣れた八重ちゃんは、またゴキブリだろうと思った。しかしそのまま音はやんで、不穏な空気が漂い始める。姿をあらわしなさいと八重ちゃんが箒の柄で廊下をドンと叩くと、黒い塊が――ゴキブリにしては大きすぎる黒い毛の塊が――八重ちゃんの足もとをすり抜けていった。

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