「私もこの子も、家族なんだよ。家族だから、お父さんもこの子に、おかえりって言ってあげて欲しい。私や悟の元だけじゃなく、お父さんにもこの子の帰る場所になってあげて欲しい」
今日は何があっても泣かないと決めていた。我慢するために握った手は、爪が当たってぎりぎりと痛い。でも視線だけは決してそらさなかった。
父は憤りと悲しさと、驚きをぐるぐるに丸めたみたいな表情をしていた。
数分か、あるいは数秒かもしれないけれど、私たち四人は固まったように動かないままでいた。また一つ、ちりん、と風鈴が揺れる。
「お前」
「…なに」
「恵子じゃない」
その視線は床に手を付いたままの悟へと向けられている。それに気づいた悟は「はい!」と答えて勢いよく居住まいをただした。
「お前、しっかり捕まえておくんだぞ。飽きたらすぐにどこか得行ってしまうような娘だからな。」
「お父さん…」
私は悟と目を見合わせて、小さく安堵の息を漏らした。母は傍らで柔らかに微笑んでいる。
「はい、肝に銘じます。大切にします、必ず」
悟は、しっかりとそう答えた。
母とお茶を飲みながら、りえの最近覚えた言葉の話や好き嫌いの話、私や悟の仕事の話をしていると、縁側の方からりえのはしゃぐ声が聞こえてきた。どうやら散歩から帰るなり、庭の方へ回ったらしい。夏の太陽がオレンジ色に着替えて、藍色の空に溶けていこうとしていた。
「日が傾いてきたから、蚊取り線香付けてやれ」
父は母にそう言いつけると、どこかで摘んできたのか、ねこじゃらしを右手に持ったりえの方に戻っていった。ねこじゃらしを持ったままきゃあきゃあと走り回るりえと、それをニコニコと追いかける父。母は円筒型の缶のふたを開けて、香取線呼応を取り出した。母がマッチをしゅっと擦ると、懐かしい、夏の匂いがした。