9月期優秀作品
『テントウムシの物語』さとうつとむ
「兄ちゃんに相談があるの」
リビングに入ってくるなり、妹の幸がぼくに話しかけてきた。
ぼくはリビングのソファーに座りながら、テレビで、プロ野球のナイター放送を見ていた。十月に入ったので、野球のペナントレースもそろそろ終わりの時期だ。
「このあいだ話してた大学院の件か?」
テレビのスイッチを消すと、リビングが一気に静かになる。
「ううん。もっともっとだいじな話」
白いTシャツ姿の幸がソファーに腰を下ろし、テーブルをはさんでぼくと向かい合う。
幸は、地元の国立大学農学部に通う大学四年生。昆虫学研究室に所属しており、その研究を深めるため、東京都内にある私立大学の大学院に進みたいと話していた。その学費の工面の相談かと思ったが、違うようだ。
「あたしの将来のことなの」
「将来?」
「うん。千夏姉ちゃんにも一緒に聞いてほしいんだ」
幸が、いつにない真剣なまなざしを向ける。ぼくはその表情に困惑し、隣に座ってファッション雑誌を読んでいた妻の千夏と顔を見合わせた。
今から十年前、ぼくの両親は交通事故で亡くなった。ほんとうに突然だった。当時、ぼくは二十四歳、幸はまだ小学六年生、十二歳だった。大学を卒業して地元の農協に勤める兄のぼくが親代わりとして、幸を養っていくしか道がない。親の死を悲しんでいる暇はなかった。
兄妹ふたりきりになって十年――幸からこんなに真剣な表情で相談を持ちかけられたことは今までなかった。彼女にとって、将来の話とはいったいなんだろう? 進学の話、就職の話、そして結婚の話。いろいろと想像できて絞れない。幸の口から何が飛び出すのか。考えると落ち着かなくなる。
幸は下を向いたまま言葉を発しない。言いたいけれども言えない……そんな雰囲気だった。
「変わったイラストのTシャツだな」
その雰囲気を打開するため、ぼくは、幸が着ているTシャツのことを話題にした。白い生地のフロント部分に、赤いテントウムシのイラストが大きくプリントされている。
「おととい、東京に行った時に買ったの。かわいいでしょ?」
幸が、はにかんだような笑顔を見せた。
「美人のおまえには、ぴったりだよ」
お世辞を言っておく。かわいいかどうかはわからないが、幸に似合っているのは確かだ。
ぼくの余談で、幸はふっきれたようだ。
「――兄ちゃん。あたし、妊娠してるの」
幸は、自分のおなかを右手でなでながら、呟くように言った。
「え? なんだって?」