9月期優秀作品
『ひいばあちゃんの蜜柑』本山みなみ
わたしのひいばあちゃん 加藤千果
わたしの家に、ひいばあちゃんが来ました。
いままでは一人ぐらしをしていたのですが、もう年をとったので、一人ぐらしができなくなったからです。
ひいばあちゃんは、八十七さいで、としよりです。だから、何でも忘れちゃいます。
いつも、わたしが学校が終わって、おやつをもらいにいくと、ひいばあちゃんは、
「おやつなんて、かいものに行かなきゃないよ!」
と言います。
でも、お母さんは、
「今日もかいものに行ったから、たくさんあるよ」
と言います。
ひいばあちゃんはおかいものが好きだから、毎日、おかいものに行っています。
でも、ひいばあちゃんは何でも忘れちゃうので、
「行ってないから何にもない」
と言います。
だから、わたしはひいばあちゃんのお部屋を探します。そうすると、あります。
「あったよ」
と、わたしが言うと、ひいばあちゃんは、
「そうか。よかった、よかった。それじゃ、食べよう」
と言います。
そうして、お母さんにお茶をもらって、二人でなかよくおやつにします。
おやつの間、ひいばあちゃんはいつも昔のおはなしをしてくれます。
ひいばあちゃんが小さいころのおうちには、いっぱいミカンの木があったというおはなしです。
たくさん実がなるので、ひいばあちゃんは大好きだったけれど、戦争でぜんぶやけてしまったので、ざんねんだと言っていました。
それを聞いて、わたしもざんねんだなと思いました。おわり
千果が作文を読み終わると、先生はにっこりとして「いいおばあちゃんですね」と言った。
おばあちゃんじゃなくて、ひいばあちゃんです、と千果は言いたかったが、恥ずかしかったので黙っていた。千果は内気なのだ。みんなの前で声で作文を読むのも恥ずかしくて、心臓はどきどき、顔も熱くほてっている。
千果が小学校二年生になったとき、担任になった先生は、生徒が持ち回りで作文を書くことを提案した。
テーマは自由。千果は一生懸命に考えて、ひいばあちゃんのことを書くことにした。
ひいばあちゃんはこの四月に千果の家に来たばかりの、お父さんのおばあちゃんだ。家族が一人増えたようで、千果はとても嬉しかった。
お家に帰ったら、ひいばあちゃんに、先生が褒めてくれたことを教えてあげよう。
千果はランドセルに花丸のついた作文を大事に仕舞うと、帰り道を急いだ。ひいばあちゃんが子供のころは、田んぼばっかりだったというけれど、いまはそんな面影もない住宅街だ。
家までは少し遠いので、天気の悪い日は、お父さんが学校まで送り迎えをしてくれる。その途中に、消防用水が溜められている、緑色の小さなプールのような場所がある。
『あそこにあるのは池かねえ』
雨の日は、千果の送迎ついでに、買い物に行くひいばあちゃんは、窓の外を見て、つぶやくように言う。
『ううん、あれは消防車のお水だよ』
千果が答えると、ひいばあちゃんは残念そうに、
『何だ。池なら、お魚がいるのにねえ』
と言う。