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『このこのこ』坂東朋子


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8月期優秀作品

『このこのこ』坂東朋子

 
 桜が満開の日に、私とこの子は二人で退院した。この夏、私はこの子のお世話をするために生きている。
 私が歩いてきた道では、将来の夢を聞かれて「お嫁さん」と答えることは、恥ずかしいことだった。テレビの街頭インタビューで、明るく喋る職業「花嫁修業中」の若い女性には、冷たい視線を送った。玉の輿を目指して合コンに勤しむ友人とは、自然と距離ができていった。そんな私がいま、この子のお世話をするためだけに、生きている。
 今朝もまた、この子の泣き声で始まった。オムツを替えた。一晩分のおしっこでずっしり重いそれを持つと、私は嬉しい。おっぱいをあげて、ゲップを出させる。炭酸水を一気に飲み干した後のような、立派なものが出た。ゲップは大きければ大きいほど、私がスッキリする。
 洗濯機を回し、掃除機をかけていると、うんちの臭いがしてきた。うんちの臭いがすると、私は安堵する。掃除機を止め、この子に駆け寄った。この子は全身の力を振り絞って「んーんー」ときばるので、私は応援をした。オムツを開けると、ますます臭く、嬉しくなった。足をバタつかせるこの子に気を取られ、うんちに指を突っ込んでしまった。自分のうんちは触れないのに、この子のうんちならば握りしめることもできる。やはり、うんちも多ければ多いほど、私がスッキリする。
 一仕事終え、宙を見つめているこの子。この隙に、レンジで温めた白飯に、残り物の茄子の味噌汁を添えた。納豆にネギを混ぜ、白飯にかけたところで、「ふぇ、ふぇ、ふぇ」とこの子の眉間にしわが寄ってくる。抱き上げると「ふぇーふぇー(立って、歩いて)」と言うので、従った。二十分ほど部屋の中をぐるぐる歩き、お互い汗だくになったあたりで、この子は眠りについた。席に戻ると、温めた白飯と味噌汁が涼し気だ。この子を膝の上に抱き、片手でかきこんだ。食後、この子の顔に視線を落とすと、顔にネギと納豆がのっていた。ネギと納豆をのせられても、全幅の信頼を寄せ、私の胸で眠るこの子。私は幸せだ。受験戦争で合格を勝ち取ったときより、大手企業の内定が出たときより、自分のお金で毎晩飲み歩いた日々より、私は幸せだ。この子を抱き寄せて、ネギと納豆を拭き取った。ぐいと拭いてしまったので、この子は目を覚まし、怒った。お詫びに歌をうたうことにした。
 証城寺の狸囃子をうたうと、笑ってくれた。何度も何度も大きな声でリピートした。そのうちに、笑わなくなった。ほっぺたをつついたり、手足を動かしたりしてみたが、「泣くぞ」と脅してきたので、オムツを替えておっぱいをあげた。
 日暮れの頃、二人でお風呂に入った。お風呂あがり、私は裸のまま、この子の保湿をし、服を着せ、綿棒で鼻くそをほじった。ふとカーテンが開いていることに気づき、慌ててカーテンを閉めた。この子が、泣かずに待っていてくれるというので、服を着て、オールインワンクリームを顔にぬり、髪を乾かした。振り返ると、この子は私の後ろ姿を見守っていてくれた。私は幸せだ。高級化粧品をライン使いし、ロングヘアを丁寧に手入れしていたあの頃より、私は幸せだ。
 そろそろ寝かせてくれと、本腰を入れて泣き始めたこの子。おっぱいをあげようとするも、手で押しのけられた。抱っこして歩き回ってみても、ますますヒートアップしてきた。私はこの子に負けない大きな声で「今日もありがとう今日もありがとう」と、叫びながら、部屋の中を走り回った。この子が寝つくころには、お風呂で汗を流した二人が、再び汗だくだった。そっと布団に降ろしトントンと身体を揺らしていると、ニヤッと笑ってから、深い眠りへと入っていった。

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