8月期優秀作品
『ワタシのかわいいネコっぽいやつ』ミケ
夏の昼下がり。
「ただいまぁ。」
「……。」
返事はない。お日様の匂いがする洗濯物が、畳みかけのままカーペットの上に積まれている。
スー、クゥー、スー、クゥー、……。
無防備なおヘソが規則的に上下している。Tシャツとズボンの間からお腹が見えて、カーテン越しの光を白く反射している。茶色く日焼けした首。ポカンと開放された、血色の良い唇。鼻の穴からひょっこり飛び出した、2本の真っ黒な鼻毛。小ジワができた分、優しげになった目尻。フローリングとカーペットの境目あたり、ちょうど風の通り道になっているところで、シロちゃんがお昼寝している。
シロちゃんはウチの専業主夫だ。
かつて、シロちゃんはブラック企業に勤めていた。月4回あるはずの休みは、会議や研修といった名目で呼びたされ、ないも同然だった。やっと社宅に帰ったと思ったら、1時間も経たないうちにケータイがなり、そのまま翌日まで仕事ということもしばしばだった。
シロちゃんの目の下にはクマができて、無愛想な痩せパンダみたいになった。
私も当時、新米高校教師だったから、授業準備とクラブ指導で精一杯で、家のことには手が回らなかった。
手入れが行き届かなくなり、ベランダにハトが巣を作った。恐る恐る覗いてみると、円らな黒い目のヒナと目が合った。親鳥が、私を睨んだ。親鳥の目は、赤く濁っていた。
(私達も、こんなやさぐれた目をしているのだろうか。)
それから間も無くシロちゃんは青白くなって、倒れた。診断は、過労。一応薬は出たが、労働条件を変えない限り回復の見込みはないという。私は一番上等なワンピースを着て、シロちゃんの上司に直談判に行った。
「ご主人はねぇ、異例のスピードで昇進しまして。」
店長と名乗る男性が、垢の溜まった爪先で社内組織表を示しながら言った。大方、シロちゃんを名前ばかりの管理職に仕立て上げて、こき使おうという魂胆であろう。
「奥さんは、高校の先生だそうで。この仕事はねぇ、共稼ぎじゃあ、無理ですよ。」
口調は穏やかだが、目は笑っていない。
「では、私の仕事の方がお給料が高いので、早速夫を辞めさせて専業主夫にします。」
私は極上の笑顔を作って宣言した。
(シロちゃんは私が守る。)
こうして、シロちゃんは我が家の専業主夫になった。