稔君は話しながら、自分でくすりと笑いました。でも誰も笑いませんでした。
「まあ、これがさっき僕のお母さんが一番くそばばあだっていった理由。だって、くそばばあって呼ばれてやってくるお母さんなんて僕のお母さんくらいでしょ。普通のお母さんなら怒るって、きっと」
たいていのお母さんは怒るでしょう。怒るお母さんが当たり前です。
くそばばあと呼ばれてやって来るのなら、それはくそばばあなのかもしれません。くそばばあであることを否定しなかったのですから。
でもそれは稔君がお母さんをくそばばあにしてしまっただけです。稔君のお母さんがくそばばあだったのはその一度だけです。
「このことはずっと忘れてたけど、思い出しちゃったんだよね。それからしばらくしてからね、お母さんは倒れちゃったんだ。突然倒れたの。脳梗塞っていうんだって。普通は身体の半分とかが動かなくなっちゃうらしいんだけど、お母さんの場合は病院へ行くのが遅かったこともあってほとんど動けなかったみたい。だから病院のベッドで寝ていたお母さんは化粧もできないし、おならもできない。あ、もしかしたらおならはできたのかもね。でも長電話もできないし、ガミガミもできない。まあ叱らないのは昔からだけど。でも、撫で撫ではしてくれたんだ。僕がこうしてお母さんの手のところに頭を運ぶと、少しだけ動く手で頭を撫でてくれた。僕は恥ずかしくてちょっと嫌だったんだけど、お母さんがよく回らない口で頭を撫でさせろって言うからさ。頭をこうしてたの」
自分の手を下に掲げ、稔君は頭を下げる仕草をします。普通は撫でる人が手を頭に持っていきます。撫でてもらうために自分の頭を手のところに運ぶなんて面白いと思ったのですが、みんなが笑わなかったので、頭をもとに戻して話を続けました。
「あまり叱ったりしない大人しいお母さんだったから、みんなのくそばばあなお母さんってちょっとうらやましいかも。大きなおならとかさ、怒った顔だとかさ、おしゃべりが長いとかもさ。そういうのなかったからなあ。おとなしいお母さんだったけど、病院に行ったら余計に静かなお母さんになっちゃった」
みんなは静かに聞いています。
葉子ちゃんの目から涙がぽたりと落ちました。
「だからなのかな、お母さんのことをくそばばあって言ったことはちょっとひっかかってる。みんなのお母さんみたいにくそばばあになって欲しかったのかな。そんなことはないね。くそばばあって言っちゃったこと、後悔してるもん。お母さんはあんまりしゃべんなかったけど、すぐガチャガチャとかやらせてくれたし、おもちゃも安いものならすぐに買ってくれたし。毎日家に帰るとおやつもあったからね。あのお母さんでよかったし、お母さんが好きだったよ。ずっと忘れてたんだよね。お母さんにくそばばあって言っちゃったこと。思い出しちゃった。僕が忘れてたから、お母さんも忘れてるかな。それとも覚えてるかな? どうして言っちゃったんだろう。お母さんは叱らないし、何でも聞いてくれるから調子に乗っていたのかな? でも、みんなは僕みたいにお母さんに向かってくそばばあなんて言わないでね。ここだけにしとこうよ。直接言っちゃ駄目だよ。死んじゃうと謝れないからさ」
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