自分の部屋に入り、扉を閉め、スクールバッグを机の上に置く。そして、制服のままベッドに寝転んだ。そのまま目を閉じる。私の生きている世界から目を逸らしたい。全部、閉じたいと思いながら。
けれど、そんな私の願いも虚しく、思い出されてしまう学校のこと。表情が塗りつぶされているが唇が激しく動くのを見てとても怒っているとわかる。彼女は私の友達。その横で涙目になっているのも私の友達。大きな声で何かを言う男子に皆が反応し、彼へと視線が集まる。私も彼へ目を向け、そうしてすぐに俯いた。やめて、そんな言葉、聞きたくない。
私は目を開けた。思い出したくないのに、どうしても思い出してしまう。
きっとこのまま眠れば、制服は皺になってアイロンがけに苦労するだろう。でも私は制服なんてぐちゃぐちゃになってほしい。明日も、学校に行くのか。
こんこん、と扉を叩く音で目を開けた。ああ、私、いつの間にか眠りそうになっていた。
「結菜、カフェラテ、飲む?」
母の声だ。母のその言葉に私の体はびりびりと痺れ、ベッドの奥底にどんどん沈んでいく。鼓動が速くなり、焦りに体が支配されていく。
母が私の部屋にまで来て、カフェラテを飲むかなんて聞きに来たことなど今まで一度もなかった。私は家族に心配をかけたくない。これは私の問題で私が解決しなければいけないことだ。だから私はいつも通りに振る舞っていたはずだった。やっぱり二階に来たことが駄目だったのかもしれない。私の心は脆くて弱くて、家族に不安な気持ちがばれてしまったらどうしようと怖さに耐えきれない。つくり笑いも上手くいっていなかったのかもしれない。
「結菜?」
母の不思議そうな声と共にドアノブが下へと下がる。音に反応して顔を上げ、肩をびくつかせた。
「入るわよ?」
「お母さん、カフェラテ飲むよ!」
母の言葉を遮るように私の口から勢いよく言葉が飛び出した。
開きかけの扉は一瞬、ぴたりと止まり、そしてゆっくりと開く。
「実はね、今日はもうつくってきちゃったの。お部屋で飲む?」
柔らかい母の笑顔に今まで自分が思ったことが黒く染まっていく。私は、やっぱり自分のことで精一杯で、家族に心配をかけたくないと思いながらも、もしかしたらそのことを話すのが怖いだけなのかもしれない。どう思われるのかが怖いのかもしれない。
私は静かに頷いた。部屋で飲むのは初めてだ。
母は嬉しそうに微笑んで私の机にアイスカフェラテを置いた。丁寧にコースターまで置いてくれる。
「もうすぐカレーができるから、そしたらまた呼ぶわね」
「うん、わかった」
母はそれだけ言うと、部屋を出て行った。母が私の不安に気づいているのかわからないが、それについて何も触れられなかったことがとても有難かった。
私はベッドから起き上がり、椅子に座って勉強机の上に置かれているアイスカフェラテを見つめた。透明な黒の波立つ部分の艶やかなべっこう色が私は好きだ。ミルクが入ることで艶やかな黒みを溶かしていき、味も色もまろやかにしてくれる。コップを持つと中に入っている氷がからんと音を立てた。
私も透明さがほしい。透明なくらいが、丁度いい。
一口、飲み込む。
「やっぱり、美味しい」
ゆらゆらと揺れる柔らかい色に母の微笑みを重ねた。
朝起きて下に降りると、父が慌ただしく朝食を食べていた。
「おはよう」
「ああ、おはよう結菜」