「もちろん本当だよ」誇らしげに夫が返した。
「あなたおめでとう!」
妻に続いて子供達も、
「お父様おめでとうございます」と口を揃えた。それから家長様で課長となった一郎は、もう一度咳払いをして、
「それでね、お父さんが皆んなに話したいことは、それとは別にあるんだ……
前に既に述べたが、一郎は姫子が産まれてまだ間もない時分、テレビで観たニュースに影響され、子供に自分のことをお父様と呼ばせることにした。姫子がまだ物心つく前から、ちっちゃな娘の前自分で自分のことを、お父様が、お父様に、お父様は、お父様を、などなどお父様お父様とお父様を連呼した。妻もそれに付き合ってくれて、娘の前で一郎を呼ぶときは、お父様と呼んでくれた。自然姫子は一郎はお父様なんだと覚えた。ちなみに妻は普通にお母さんとして、そう覚えさせた。
姫子がまだ曖昧な発音ながら、初めて一郎を「お父様」と呼んだとき、彼は飛び上がって喜んだ。そのうちあたりまえに娘は父親をお父様と呼ぶようになった。次に彼は適当な理由をつけて、家の外ではお父様をお父さんと呼びなさい、娘にそう言って教え込んだ。小さな姫子はそれを素直に飲み込み、そう言うもんなんだと、あっさり身についた。
しかし姫子も幼稚園に通い始めると、家の中ではお父様、家の外ではお父さん、そう父親を呼ぶことに疑問を感じだした。まわりの園児達はだいたい父親をパパと呼ぶ。お父さんと呼ぶ子もいる。みんなは家の中と外とで父親を別な呼び方で呼び分けているのだろうか? 幼い姫子は考えた。
姫子が疑問を投げかけるたび一郎は適当な理由をつけて、なんとか納得させた。「うちはうち、よそはよそ」と言った、よく親が子供に使う常套句を用いたりもした。正直一郎はちょっと面倒に感じた。そのうちお父様と呼ばせるのをやめにしようとも思った。が、次々に産まれてくる子供達に、お父様と呼ばせているうちに、やめ時を見失った。それに、家で子供達にお父様と呼ばれて気分は悪くなかった、いや良かった。
花子が産まれた時、姫子はもう小学校高学年になっていた。さすがにそろそろ家長ごっこも終わりにしようかと一郎は思った。思ってはみたものの、習慣からまたまた花子にも、自分のことをお父様と呼ばせてしまった。完全にやめ時を見失った。
ほかの四人はそうでもなかったけれど、太郎は父親をお父様と呼ぶことに反発を覚えた。中学に上がってさらにその気持ちは激しくなった。それはある意味当然でもあると、一郎は心の中で太郎を理解していた。理解はするものの解決の手段を真剣に考えることはしなかった。まるで茶番なお父様ごっこをだらだらやり続けた。続けながらも心の底で、何かやめるきっかけを欲していた。
万年平社員であると思っていた一郎が課長に昇進した。
「お父さん課長になったのを潮時に皆んなにお父様って呼ばせるのをやめにしようと思う。突然勝手なこと言って悪いんだけど、皆んなだって本当はそのほうが良いだろ」
父親の言葉に子供達は顔を見合わせた。
「あら、そう」と、妻が短く返した。
「まあ良いんじゃない」三郎が言う。
「父上、僕はこれからも父上のことをお父様と呼びたいでござりまする」四郎がふざけて言う。
「わたしどっちでも良い」花子が言う。
「ふーん…」と、お父様と一番長年呼ばされてきた姫子が、軽く首を傾げた。
先頭を切って喜ぶと思っていた太郎は黙っている。一郎は彼に問うた。
「太郎はどう思う?」
「うーん… 呼ばなくていいと言われると呼びたくなるような、何だかちょっと寂しいような。でも嬉しいような… うーん、好きにするよ」
「そうね、その時の気分とかもあるし、皆んな好きなようにお父さんのこと呼べば良いんじゃない」
長男の答えに長女も口を開いた。すると四郎が、
「じゃあやっぱし僕、父上のことパパって呼ぶでござりまする」と得意の、ござりまするを披露し「ねっ、パパ」と、父親を見てニヤリ笑ってみせた。
「それじゃあまあ、お前達に任せるよ」
との、山田家家長様の出した結論に、子供達は一斉に口を揃え応えた。
「はい、お父様!」