7月期優秀作品
『おとうさま』広瀬厚氏
一姫、二太郎、三郎、四郎、五に花子、と少子化が叫ばれる昨今にあって、なかなか頑張って拵えたものである。よーやった偉い! と誉めてやっても良かろう。
山田一郎は五人の子供達の父親であり、山田家の家長様である。彼は家の中で子供達に自分のことを、お父様もしくは父上と呼ばしておる。時は現代、平成の世において、家長やらお父様とは封建時代じゃあるまいし時代錯誤も甚だしい、とお思いであろうが仕方ない、それが一郎の主義なのである。のか?
「ちょっと山田さん、この書類の計算間違ってますよ」
「かっ、課長どうもすいませんてした。今すぐやり直します」
ダメサラリーマンで万年平社員の一郎は、年下の上司にもぺこぺこコメツキバッタよろしく頭を下げる。
そりゃロンモチ彼だって悔しい。し、年長の者に間違いを指摘するとは全くもってけしからん、と腹が立つ。そんな書類など此奴の目の前で引き裂いてやりたい。が、だが、然し、家族のためを思って、そこはぐっと堪えへつらう。
「あら課長、そのネクタイ良いですねえ。いつも課長のセンスには本当驚かされますよ」
「いやあ、そうですか。じゃあ書類頼みますね」
「はい! 今度は間違いなく致します」
一郎は心で泣いている。こげな若造に世辞を言って媚びおもねる己が情け無くて情け無くて。然れど家族のため。愛する家族を養うためなのだ。彼は忍耐と言う言葉を胸に、頭でぺたんぺたんと米をつくのであった。
「お父様なんてよ、オヤジ俺達に呼ばせて全くバカバカしい、いい加減やめにして欲しいよな」
学校から帰って居間でテレビを見ながら、中学三年の長男太郎が同じくテレビを見ている三郎に愚痴る。
「バカバカしくても良いんじゃないの。僕はけっこう楽しくそう呼んでるよ」と、二つ年下の三郎が返す。
そこに小学五年の四郎がポテチの袋を手に、ぬっと現れ、
「父上今日は何時頃帰られるのかなあ? いつもみたいにまた夜遅いのかなあ?」
「四郎、オヤジいないのに父上だなんて言って冗談じゃないぜ!」
「いやお兄ちゃん冗談だよ冗談。だって面白いことない? ねえ三郎兄ちゃん」
「うん、良いんじゃないかい」
チッ! と太郎が舌を打った。すると四郎がお茶目に言う。
「お兄様怖い。父上に言いつけなければ」
母桃子が台所で夕飯の支度をしている。食卓を使って宿題をする小学三年の花子が母に話しかけた。
「ねえお母さん、なんでお父さん私たちに家でお父様なんて呼ばせてるの? 」
「あれっ、前に話さなかったかな。お父さんね、姫子おねえちゃんが産まれてまだ赤ちゃんだった頃にね……
すっかり大きくなって今では高校二年になる姫子が、産まれてまだ間もない頃の話である。今でも変わらないが、お人好しで気の小さな一郎は他人から何か頼まれると断る事が出来ない。そのため毎日朝から晩まで仕事に追われ、特にその頃は忙しく、精神的にも肉体的にもかなり参っていた。何のために毎日忙しく働いているのだろう? と、自分のする労働に疑問すら感じ始めていた。家に帰って、自分達夫婦にとって最初の子供である姫子の顔を見ることが、その頃たった唯一の楽しみであったと言っても過言でない。
そんなある時、一郎はテレビでニュースを観ていた。テレビの画面の中、やんごと無き御家族の小さな娘さんが、父親のことをお父様と呼んで笑みを浮かべていた。それを目に何故だか一郎は大変感銘を受けた。父親と言うものが父親だと言うだけで、大変貴い存在であるよう感ぜられた。姫子が産まれ、父親となった自分も、彼女からお父様と呼ばれたく思った。
「ねえ桃子、姫子に僕の事お父様って呼ばせたいんだけど、どう思う? 」
「えっ、何? お父様、ん? 突然どうしちゃったの」
「やっぱりおかしいかな? よそじゃ恥ずかしいから家の中だけで良いんだけど。そんなに変かな」
「うーん、変と言えば変だと思うし、変じゃないと言えば変じゃ… やっぱり変かな。だけど別に私反対しないわよ。本当にそうしたいならそうすれば。だけど何故?」
「いやあ、ちょっとねテレビでね…」と説明をして、
「僕自分に全然自信持てないからせめて家でお父様なんて呼ばれたら胸張れるし、それでちょっとは自信につながるかな、なんて思ってさ」