それから一郎は子供に自分の事を、家でお父様と呼ばせる事を決心した。そんなに威張るつもりは無いが、自分は山田家の家長であると誇りを持った。外でどんなに惨めであっても家に帰れば、お父様で家長様であると思えば我慢が出来た。お父様お父様と多くから呼ばれたいので、どんなに疲れて帰ってきても、夜の仕事も手を抜かず精一杯頑張る事とした。結果姫子の後も四人の子宝に恵まれた。全五人、悉皆物心つかないうちから、自分をお父様と呼ばせるよう、お父様と言う言葉を頭に植付けた。斯くして、山田一郎は、五人の子供達のお父様となった。
「ほんと変なお父さんでしょ。優しいんだけどね。それで花子はお父様なんて呼ぶの嫌じゃない?」
「べつに嫌じゃないよ。でもね、友達とかに知られたら恥ずかしいし嫌かな。こないだもね、友達と話してる時にね、お父さんの話題になって癖でお父様って言いそうになっちゃった」
「そうよね、ついつい出ちゃわないか気を使っちゃうわね。ごめんね」
「そんなお母さんがあやまらなくてもいいよ。あっ、お母さんラインが来たよ」
食卓に置いてある桃子のスマホがラインの着信を知らせた。姫子からであった。帰りがちょっと遅くなるから夕飯を先に食べていてと言う。桃子は長女に出来るだけ早く帰りなさいと返信した。するとすぐ、お父さん帰りの時間にうるさいから言わないでね、と返って来たのでOKとスタンプで送った。
そんな時に限って大変珍しい事に、いつも帰りの遅い一郎がずいぶん早くに帰って来た。それも突然。滅多に早く帰る事はないけれど、帰れる時は決まって電話なりメールなりあった。が、この晩はそれがなかった。
「おーい! いま帰ったよ」と、玄関が開き大きな声がした。
その声に、えっ? と一瞬頭に疑問符を浮かべたものの桃子は、すぐに子供達を呼び集め自分共々玄関へ向かった。
「お父様お帰りなさいませ。お仕事ご苦労様でした」
「ああみんな有難う。あれっ、姫子はいないのかい?」
長女のいない事に気づいた一郎が誰にでなく問うた。はっ! として妻が答える。
「そうそう、さっき少し遅くなるってラインで言ってきたわ」
「遅くなるってどれぐらい遅くなるんだ?」
「心配しなくても大丈夫よ。そんなに遅くはならないでしょう。ほんと一郎さん心配性なんだから」
「そりゃあ心配もするさ。かわいい娘なんだから」
一郎は夕食の前に風呂へ入った。そのあいだに桃子は姫子にラインを送り、一郎が帰宅した事を伝えた。突然の父親の帰宅の知らせに姫子は驚き、出来る限り早く帰ると母に返した。
「まだ姫子は帰らないのか」風呂から上がった一郎が妻に聞く。
「まだよ」と、妻は三文字で答える。
「夕飯は姫子が帰ってからいただこう」
「いや、あの子気をつかって先に食べててってラインあったから先に食べてましょう」
「いやいや待ってよう。たまにはみんな揃って夕飯にしようよ。あっそうだ、僕が姫子に夕飯待ってるってラインするよ」
「そんなことして余計な気をつかわせないほうがいいんじゃない。あなた姫子に嫌われるわよ」
「嫌われるってなんだよ」
「ま、とにかく先に食べてましょう」
「ダメだ! 僕が待ってるって言ったら絶対待ってるんだ。僕がこの家の家長だ!」
桃子は、ため息をこぼしつつも、とりあえず夫を立て、首を縦に振った。そして子供達に、その事を伝えた。
「えーっ、俺腹へったよ。オヤジたまに早く帰ってきたと思ったらいったい何なんだよ!」
と太郎が不機嫌に言ったのが、一郎の耳にも聞こえ飛んできた。
「おい太郎! お父様に対してなんだその言い草は!」
「腹へったもんはへったんだよ!」
二人対面し、今にも喧嘩になりそうだ。一郎の後ろから桃子が太郎に向かい、手を合わせ、懸命な顔をし「お願い謝って」と、言葉には出さないが口を動かし願った。一瞬納得のいかない顔を母親にして見せた太郎であったが、それでも、うつむいてふぅと小さくこぼしてから、
「お父様すいませんでした。僕が悪かったです」と謝った。
「わかればよろしい」そう言った父親に向け胸中彼は、チッ! と目一杯舌を打ち、そのすぐ勉強部屋へと姿を消した。
「父上、今日はずいぶんと早く帰られて四郎は嬉しいでござりまする」
居間でテレビを観ながら四郎が言う。
「四郎、嬉しいでござりまするは何かおかしくないかい?」
「では何と?」