風が屋上に吹き抜けた時、風の音の中に<あ、>という声が混じった。
もっと耳に忠実になるなら、あの次にちいさな<っ>って音が入っていた。
あまり予測していなかった時間が訪れているような。
なんのためにちぎっていたのかさえ、わからなかったのかもしれなくて、我に返ったみたいに膝の上にある紙屑とじぶんの指先ばかりを見ていた。
膝の上、ベンチの上、コンクリートの床に、ばらばらになった透の言葉が、こっぱみじんに散らばっていた。
なまえがいけないんだ。透だなんて。すきとおってしまったら、あらかじめうしなわれていた海月みたいに溶けてゆくしかないのに。
だんだんと時間がこっち側に戻ってくる感じで、栞はその紙切れをみておろおろした。
デパートの屋上で観葉植物の専門店<グリーン・グリーン>を営んでる恭代おばさんにセロテープを借りてきた。
切り傷の上にバンドエイドを貼るみたいに、紙吹雪を張り合わせた。
大学の終わり頃から始めた<天神屋デパート>のデパ地下惣菜屋でのアルバイトは20代の半ばすぎに近づいた今も続いていた。
透明のビニール手袋をして、パックにパスタのサラダや生春巻きの惣菜を詰める。清潔第一なのは承知しているけれど、この掌に伝わる体温の熱さが邪魔だった。もどかしさが胸のあたりを行ったり来たりして、はやくこれを脱ぎたいなって思いながら、ひたすらにその作業を繰り返す。
口元は筋肉を柔らかくして、微笑むでもなく怒るでもない接客にほどよい表情で。
食卓に並べられるおかずを選ぶ母親らしき人達が、だしぬけに立ち止まる。
家庭の匂いが地下に漂う。スマホに向かって誰かに今晩のおかずを選びあぐねる人の話し声が聞こえてくると、なんとなく彼女たちのいる場所は、じぶんが永遠に辿りつけない場所に思えてきて、すこし塞がれる気持ちに支配される。
誰かと結婚して家庭を築く。その過程で子供ができていつしか家族になってゆく。なんかそんな営みが栞には遠かった。ついこの間まで近づいたと思っていたけれど、近くてそれは遠かったのだ。
世界遺産の番組なんかで見たことのある九寨溝あたりのたゆたう緑めいた青い水の方がちかいぐらいに、育まれてゆくあたりまえの人々の日常の方が栞には遠かった。
そんな感情の行き止まりにぶちあたる時、チーフの黒木さんがお客さんに見えないように山根君のひかがみあたりに蹴りを軽く入れる。そして笑えって、顔のジェスチャーを頬の筋肉を少し動かしながら、彼に促す。
その時、黒木さんが担わされためんどくさい仕事に対して、軽く敬う。お勤めご苦労様です、と。
この黒木さんにだってちゃんと家族はいるらしい。34歳で子供はふたり。
ほんとうにお疲れ様です。