俺は、とんでもない言い訳のようにも思ったが、娘の彼氏が娘に惚れ込んでいるという話を聞いて、悪い気がしなかった。俺はもうグチグチ言うのを止め、「娘はまだ防虫時計使うって言ってるから、オーバーホールの時期にまた持ってくるよ」と言うと、帰ることにした。
老主人は、不敵な笑みを浮かべると、「あいよ」と言った。
「あなた!あと30分で来るって!ちゃんと身仕度しといてー」
結衣がけたたましく、俺に声をかける。結衣は、朝からご馳走作りで、バタバタと働いている。
「ああっ、分かってる!」と応じると、俺は身仕度を始めた。今日、華が結婚したい相手を連れて来ると言うことで、昨夜は良く眠れなかった。
会社に行く時のように、ランニングシャツを脱ぎ、上半身裸になると、制汗剤を身体に噴射する。加齢臭防止効果がある制汗剤で、俺は必ず人と会うときに振りかけている。臭いオヤジと思われるのは、やっぱり哀しい。
制汗剤を身体に噴射しながら、俺はアブラムシのことを考えていた。制汗剤は、俺に取り付く、加齢臭という名のアブラムシをやっつけているようなもんだ。
華が連れてくる男はどんな奴なのか?防虫時計を搔い潜って、華に求愛した勇者?それとも、防虫耐性のある新手の害虫……
――西村のように、俺も娘が選んだ男を信用しないといけないんだろうな。
俺はしみじみ思った。
――ああっ、この家のガーディアンも今日で卒業か……
長年勤めたガーディアンの名残りを断ち切るように、俺は、制汗剤を殺虫剤のように、宙に噴射し続けた。